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東京都知事選 政党のふがいなさ象徴
(共同通信 2014年2月10日)

 東京都知事選が終わった。日本の政党政治の不甲斐なさを象徴するような選挙戦であった。

 英米独仏の首都の首長で、自分が何党の政治家なのかを明示していない人はいない。しかし日本では、首都の首長選挙に衆議院の第一党から第六党まで(自・民・維・公・み・結)が党本部推薦候補を立てられなかった。

 無党派層の取り込みや複数政党からの支持を期待して、党派色があるのに「無所属」を名乗る人が出るのはわかる。だが今回の都知事選挙では、桝添氏のように既存の主要政党との縁を切った、あるいは細川氏のように政界そのものとの縁を切ったような「非党候補」を各党がしぶしぶ応援する光景が見られた。いや応援できたのならまだマシなほうで、野党第一党の民主党など、海江田党代表の地盤が東京であるにもかかわらず、応援すらまともにさせてもらえなかった。

 突然の前知事辞任ゆえの選挙だったからという言い訳は通用しないだろう。要するに各党とも、重要な選挙に公認・推薦候補として送り込める党内外の人材をきちんと育成・プール(蓄積)できていないのだ。そのために、候補者擁立ができなかったり、場当たり的になったりするのだ。

 今回の都知事選では、争点形成もまた場当たり的であった。人気者なら都政に疎くても候補者に据えてよいという理屈と同じで、世論を喚起できる政策なら、都民のニーズを考えることなく、何でも争点にしてよいというムードが見られた。

 彼らの論理に立てば、今回敗北した原発ゼロの候補者は、来月あるかもしれない大阪市長選にも立候補してよい。だが、全国的な知名度を持つ候補者が全国どこでも通じる争点で地方選挙を戦うのでは、地方政治は空洞化してしまう。地方政治を国政改革の道具と見なす候補者には、やはり国政進出を目指すよう有権者は求めるべきだ。

 「最後のご奉公」を願った元首相たちには、本来なら昨年夏の参院選前にやっておくべきだった新党結成を促したい。口先だけの原発ゼロでないのであれば、細川氏も小泉氏も,とっくに国政を目指すべきだったのだ。今後,国政を目指さないのであれば、かれらが叫んだ「強い危機感」はウソになる。信念があるかに見えた元首相たちの言動まで場当たり的だったことになれば、東京都の有権者は今回の選挙をさらに虚しく思うだろう。

 いずれにしても、目下の政治課題が、国政における野党の不甲斐なさ、すなわち野党の世論代表機能の低下にあることは明らかだ。実際、もし野党が原発ゼロを願う世論をしっかり受け止め、国会で徹底的に政府を追及できていれば、ほかに表す場所がないといった雰囲気で、都知事選にこの争点が持ち込まれることはなかったはずだ。

 各党は、無党派層の多さを気にかけるあまり、候補者や争点を場当たり的に選ぶ風潮をいいかげん打破すべきだろう。党利党略も困るが、政党否定の自己中心候補ばかりの首長選挙も望ましくない。地方政治と国政がリンクしやすい時代だからこそ、次回選挙では政党の姿がはっきり見える都知事選を期待したい。