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比較政治学会(2008年6月)

「政権運営と政治コミュニケーション
―安倍政権の言葉政治を中心に―」
高瀬淳一

1 政権運営の評価基準

 政権運営の巧拙はいかにして生じるのだろうか。これを議論するためには、まず「巧拙」の判断基準が必要となる。

 「巧」であれば、短期間のうちに政権を明け渡すわけはない。したがって、第一の基準は「政権の長さ」である。さらに、政権が民主的な支持によって支えられる以上、その支持を示す二つの要素、すなわち議会における「与党の議席占有率」と、国民世論における「内閣支持率」の高さも、尺度に加えるべきであろう。ただし、前者の議席占有率については、政権担当者の力によるものか、あるいは前任者の「遺産」なのか、という問題が残る。ゆえに、与党の議席占有率は、当該政権において実施された選挙における「与党の議席獲得率」によって判断したほうがより適切と考えられる。

 こうした評価基準については、政権の政策の善し悪しを議論すべきではないか。あるいは、成立させた内閣提出法案の数やその重要度なども指標にすべきではないか、といった議論もあるにちがいない。しかし、政策の善し悪しについては主観の介在が免れず、一方、立法数については政権の長さとの相関関係がある。たしかに1つでも重要な法案を通せば、それで内閣の評価が高まることもあろうが、とはいえそれは政権運営の上手さとはやはり別に評価されるべきだろう。すなわち、法案と立法のいずれについても、これらを基準に加えることは、かえって評価を曖昧にするものとなりやすいと思われるのである。

 もちろん、上記の三基準が満たされただけで内閣の政権運営が巧みであったという価値的な評価を下すことは危険である。しかし、少なくとも政権運営が拙い内閣は、これら三基準のすべてを満たすことはない。そうした意味で、まずはこれら三基準を用いて政権運営のテクニックの巧拙を評価することは、便宜上の適切さを与えてくれるにちがいない。

 上記の三基準において小泉純一郎政権(2001.4~2006.9)が画期を成したことは、疑問の余地の少ないところである。その記録を振り返れば、次のようなものであった。

 こうした記録がある以上、政権運営の比較において小泉政権が1つのモデルとなることはやむをえない。しかも、小泉は、郵政民営化という、いわば自身のライフワークの実現も果たしている。こうした「記録」を見れば、好悪の感情を抜きにして、小泉という政治家については「政治がうまかった」と評価するほかはない。少なくとも、「小泉は運に恵まれただけだ」などという安易な解説で、この首相の示した政治的技巧を軽んじるべきではないだろう。

 一方、この小泉政権の後継となった安倍晋三内閣(2006.9~2007.9)の政権運営については、その「拙」の側面を少なくとも上記の三基準について指摘できる。

 まず、安倍政権はほぼ1年という短命に終わった。また、発足当初は60~70%程度あった内閣支持率は、政権半年にしてようやく数%回復したことを除けば、趨勢的に低下傾向を続け、1年も経たないうちに20%台にまで落ちていった(朝日新聞26%、読売新聞27.2%)。そして、2007年の参議院選挙では、第一党の座を民主党に奪われ、しかも与党合計でも過半数の議席を確保できなかった。皮肉なことに、結果だけを見れば、「自民党をぶっこわす」と叫んだ小泉は自民党に大勝をもたらし、分裂した自民党の修復を図った安倍は選挙で大敗を喫したのである。

 安倍は、内閣官房副長官、自民党幹事長、自民党幹事長代理、内閣官房長官と、小泉政権を支えるポストを歴任し、またその後継として首相の座に就いた。小泉政権をいわば内側から見て、その政権運営についても学んだはずの政治家であった。にもかかわらず、その政権のパフォーマンスは、少なくとも上記の三基準については芳しくはない。

 また、安倍と小泉は、同じ自民党で、同じ派閥に属した。そうである以上、両者の基本的な政策スタンスに大きな違いがあると考えるのには無理がある。たしかに、具体的政策について、そのイデオロギー的色彩の濃淡を指摘することは可能だろう。だが、二人の政策面での違いは、少なくとも党派を分かつレベルにはなかった。

 ならば、いかなる要因によって、安倍政権のパフォーマンスの「低さ」は説明されるべきか。その一端なりとも明らかにしようというのが、本論考の目的である。

2 安倍政権の分析視角

(1)属性説

 安倍政権は、小泉の自民党総裁としての任期満了に伴う自民党総裁選挙の結果を受けて2006年9月に誕生し、2007年9月、安倍の突然の辞任表明を受けて終わった。2007年7月の参議院選挙で与党が大敗した際にも辞任の機会があったが、このときは自民党内からの倒閣の動きは小さく、安倍も政権を放棄しようとはしなかった。しかし、新内閣を発足させ、臨時国会で所信表明演説を行った翌々日の9月12日、安倍は唐突に辞任を表明し、その後、病気を理由に入院した。安倍内閣が正式に総辞職したのは自民党総裁選を経て後継総裁が決まった後の9月26日であった。それゆえ在任期間は366日となるが、実質的には1年にも満たない短命内閣となった。

 こうした政権末期の状況を思えば、この政権の失速を首相の個人的要因によってのみ解釈する見解が出てきても不思議ではない。具体的には、健康問題、あるいは52歳という戦後最年少で首相の座についたゆえの「若さ」を主要因とする見方である。

 しかし、内閣支持率の低下傾向や参議院選挙での敗北は、健康問題が浮上する前から安倍の政権運営が拙かったことを物語っている。また、「若さ」は未熟さだけではなく、エネルギーを感じさせる要素として、政治的には「売り」にもなる性質である。したがって、参議院選挙に勝てるリーダーとして自民党総裁に選ばれた安倍が「若さ」を有効に活用できなかったとすれば、それはむしろ彼の健康や若さではなく、政治能力面における拙さを表していると考えるべきであろう。

 首相個人の能力が、健康まで含めて、政権維持に関係していることは疑いのない事実である。とはいえ、政治家個人の政治的技量について語る場合、健康や年齢といった個人の属性を重視するよりは、それを前提にいかに彼らが政治的能力を発揮したのかを見るべきである。ゆえに、健康や年齢を安倍内閣の挫折の主要因と考える属性説については、その説明能力に限界があると評価すべきだろう。

(2)制度説

 次に考えるべきは制度的要因である。これについては、内閣や国会といったフォーマルな政治制度、あるいは自民党内の政治状況が、安倍内閣の政権運営を困難なものにしたという仮説は成立するか、を問わなければならない。

  第一に、内閣について言えば、小泉時代からいわゆる橋本行革による内閣主導体制という恩恵が得られており、これに加えて安倍内閣では、補佐官制度を最大限に活用して内閣主導体制の強化を図ったことが指摘できる。実際、安倍内閣では5人の補佐官が任命されたが、法律上容認される限界である5人まで補佐官を任命するケースは過去にはなかった。彼らは官房長官や官房副長官らとともに官邸にオフィスを構え、首相の「側近」としてその政権運営を補佐したのである。組織としての内閣の強化は、安倍政権にとってプラスに働く要素をもっていたはずである。

 第二に、国会運営と自民党内の政治状況は、少なくとも参議院選挙前は、安倍に有利に作用するはずであった。事実、衆議院においては与党が3分の2以上の議席を占める絶対優位の状況にあった。また、自民党においては、小泉時代の分断を早期に克服すべきだという融和ムードが広がり、内部から安倍政権の打倒を画策する動きは少なかった。

 ようするに、内閣、国会、自民党の状況は、安倍政権のほうが小泉政権に比べ格段に恵まれていた。にもかかわらず、安倍の政権運営はうまくはいかなかったのである。これは、政治制度以外の要因に目を向ける必要性を示している。すなわち、制度説にもまた限界があるのである。

 ちなみに、小泉政権の観察者たちのうち幾人かは、この小泉政権を契機に「55年体制」に代わる新たな「政治体制」が誕生したと指摘した。たとえば竹中治堅の「2001年体制」論は、「首相支配」や「権力の一元化」に着目し、「今後も首相に権力が集中、一元化される状況は続き、首相が強い権力を振るうことが可能なはずである」と主張した(注1)。この説が正しければ、安倍はもっと「支配的」に振る舞えたはずであり、閣僚の行動や党内情勢に妥協的である必要はなかったはずである。安倍が新たな政治体制の恩恵を活かしきれなかったとの解釈も成り立つが、それは「政治体制」の話を都合よく個人の能力の話にすり替えるだけのことであって、突き詰めれば「首相支配の成否は首相の能力による」という非制度論的な結論を引き出すにすぎない。

 ほかにも、田中直毅の「2005年体制」論は、55年体制から50年目という節目の年にちなみ、この年の総選挙で自民党が大勝したことを「改革をめぐる政治空間の確立」と評価する(注2)。だが、55年体制が国会における政党の議席数を基礎に論じられているものであるのに対し、ここで論じられている「政治体制」が意味するものは「政治空間」というムードにすぎない。その後の「小泉改革」への批判や「ねじれ国会」の実情を見れば、2005年の政治的空気が「体制」にまで昇華されたものとは、とても言いがたい。

 ようするに、小泉時代に新たな「体制」ができたかのような見方で、昨今の政治状況を分析することには限界がある。いわゆる体制論は、安倍内閣の稚拙な政治運営について、十分な説明を与えてくれないものと評価してよいだろう。

(3)技能説

 筆者は、小泉政権の成功を「政治手法」の成功であったと指摘してきた(注3)。もちろん、小選挙区制導入という選挙制度上の変化、無党派層の増大という政治意識上の変化、連立政権の恒常化あるいは二大政党化といった政党政治上の変化、内閣機能の強化といった政治制度上の変化、首脳外交の重要性の増大といった国際政治上の変化をまったく考慮しないわけではない。ただ、一番大きな特徴は、やはり小泉が、田中角栄の確立した利益分配的な政治手法を否定し、世論の支持動員を中心とする政治手法に切り替た点に求めるべきである。

 小泉は、カネの力や議員の数の力ではなく、言葉の力や国民の支持率の力を重視するリーダーシップ・スタイルを採った。この小泉政権の成功が基本的に個人的な政治の技巧に支えられていたとするならば、いかに政治状況に大きな変化があったにせよ、これを新体制が生まれたかのように主張することは差し控えるべきだろう。

 こうした観点に立ち、筆者は新たな政治手法の成功モデルとして「小泉型政治手法」が登場したと指摘する一方で、小泉後はむしろ「小泉コンプレックス」をいだく首相たちが登場し、困難に直面したり、あるいは無理をして失敗したりすることがありうると警告してきた(注4)。おそらく安倍政権の考察においても、こうした「小泉流政治手法の不足」についての検討が必要になる。そして、筆者の言う「小泉流」が、言葉をはじめとする演劇的手法による世論の支持喚起を中心的要素としている以上、分析の目はいわゆる政治コミュニケーションの在り方に向けられなければならないだろう。

(4)思想説

 安倍の政権運営には政治手法上の拙さがあった、という見解に対しては、政治手法のミスというよりも政策判断におけるミスではないのか、という反論があるかもしれない。安倍の保守的な政治姿勢が国民の強い反発を招いた、あるいはそれをことさらに批判したマスメディアがあり、それが安倍政権を短命なものにした、という見方である。

 たしかに安倍内閣が提出し成立させた法には、教育基本法や国民投票法といったイデオロギー的色彩の強いものが含まれている。また、これらについては国民の一部に強い反対論があったことも知られている。しかし、これだけで安倍政権の短命等を説明することには無理があるように思われる。

 まず、安倍には総理就任前に出した『美しい国へ』という著書があり、広く読まれていた。にもかかわらず、彼の政治哲学に対する非難は、少なくとも当初、大きなうねりにはなっていない。安倍内閣発足当初の内閣支持率は朝日新聞でも63%である。こうした事実を見れば、国民が安倍の保守思想をこぞって嫌悪していたような状況にはなかったと言ってよいだろう。

 また、教育基本法(2006年12月)や国民投票法(2007年5月)といった政治イデオロギー色の濃い法案が可決していった際の内閣支持率には、それらを明確な原因とする急落が見られない。低下傾向にあったのは事実であるが、そこには郵政造反組の復党や松岡大臣の自殺の影響も含まれている。これらの政策に対する国民のアレルギー反応が大きかったと断定する根拠としては、やや弱いと言わざるをえない。

 さらに、7月の参院選における民主党のマニフェストにおいて、安倍政権のイデオロギー的政策に対する批判は前面に押し出されてはいない。もし国民が強く反発していたのなら、そこに訴えかけないのはおかしい。民主党がそれを積極的に進めなかったという事実からしても、安倍の政治理念が政権の命運を左右したというのは、解釈にやや無理があるように思われる。

(5)政策説

 政策面については、小泉時代のツケとしての格差の問題が大きく、これがボディーブローのように安倍政権にダメージを与え続けたという解釈が成立するかもしれない。たしかに、十分に想定される問題への対処の不足は、政権運営能力の稚拙さの説明要因にはなりうる。

 小泉政権を継承した安倍政権がいわゆるバラマキ政治に回帰するわけもなく、ゆえに格差の問題が簡単に解決されないことは、少なくとも政権内部にいる人たちにはわかっていた。そこで安倍政権は、発足当初から「再チャレンジ」をスローガンに掲げ、格差是正に取り組むことになる。このスローガンを見てもわかるように、安倍は単純な政治的給付による格差の縮小ではなく、むしろ機会の提供と国民への激励によって格差問題の解決を図ろうとしていた。

 さて、スローガンを用いた行動喚起を含む以上、安倍政権について議論すべき政策上の問題点は、たんにその政策の効果にとどまらない。それをいかに国民に向けてアピールしたかという、筆者の言葉でいう「情報政治学的観点」も必要になるものと思われる(注5)。

 ちなみに、小泉政権下においても格差拡大を非難する声は各方面から発せられており、特に政権最後の半年については、小泉政権のレイム・ダック現象を見据えたかのように、与党議員からもそうした批判がしばしば出ていた(注6)。にもかかわらず、政権末期の小泉内閣の支持率は大きな変化を見せず、朝日新聞では40%台後半で、読売新聞では50%台前半で推移した。

 安倍政権になって格差問題の深刻さが浮き彫りになったとしても、対応策での失敗だけで小泉・安倍両政権の巧拙の違いを説明することは難しい。少なくともそれに加えて、安倍政権における政治コミュニケーション面での失敗、具体的には「再チャレンジ」というスローガンの有効性の限界も考慮しなければ、十分に説明することはできないだろう。本論考が特に政治コミュニケーションに着目する理由も、それが政策の正当化も含めて、現代政治に必要な支持獲得をもたらす重要な技巧となっているためである。

3 安倍政権の政治コミュニケーション戦略

 一般に、チームで行う戦略的コミュニケーションの失敗には、①スローガンなどの言葉の選択ミス、②発言者自身のコミュニケーション能力不足、③コミュニケーション対策スタッフの力不足、の3つがある。これらについて、安倍政権において工夫された点を指摘し、また問題点を考察していこう。

(1)スローガン

 安倍政権の代名詞ともなった「美しい国」は、日本政治史における内閣のキャッチフレーズとしては極めて独自性の強いものである。多くの内閣は、そのスローガンを漢字の熟語の組合せによって表しており、自分の内閣に形容詞を、しかも「美しい」という美意識を感じさせる単語を用いることはなかった。

 たとえば、外見上の見栄えに工夫を凝らしたとされる細川内閣にしても、内閣のスローガンに掲げたのは「質実国家」であり、「責任ある変革」であった。こうした「変革」を表す語群は、周知のごとく、日本のみならずアメリカにおいても、定番の政治的スローガンである。事実、日本においては、与党のみならず野党も、その政治スローガンには「変革」や「改革」、あるいは「維新」などという言葉を頻繁に用いてきた。

 こうした一般的傾向を踏まえると、「美しい国」は内閣のキャッチフレーズとしてはかなり斬新なものであったと言えるにちがいない。その政治的意図は、単なるナショナリズムの喚起であったのかもしれないし、小泉改革による「破壊」の後の創造に向けて、改めて国の在り方を見直す試みであったのかもしれない。あるいは、国の美しさに目を向けることで、国内における格差などの問題から目をそらそうとした政治的深謀遠慮と解釈する向きもあるだろう。いずれにしても、安倍内閣を象徴するこの言葉は、安倍の著作の影響もあって、早々に人口に膾炙するものとなった(注7)。

 しかし、国民に浸透していたにもかかわらず、この「美しい国」は国民の支持の喚起には大きな役割を果たさなかった。安倍内閣の閣僚の発言や事務所経費問題で、内閣の「美しさ」に国民からの疑いの目が向けられたことも影響した。また、岸信介政権の挫折に対する安倍の個人的思いが過剰であったためか、政権後期になると「美しい国」は「戦後レジームからの脱却」のための闘争へと置き換えられていったが、この修正はむしろスローガンと現実との結びつきをさらに弱める結果をもたらした。過去の清算の必要性というメッセージは、それだけで新たな未来を暗示させるには不十分であり、しかも格差是正のような生活実感にかかわる政策論議には有効性を発揮しえない。こうしたことから、安倍の個人的な熱意にもかかわらず、安部内閣のスローガンは国民の支持を掻き立てるにはいたらなかったものと思われる。

 2007年の参議院選挙の自民党のマニフェストには、「美しい」という言葉が多く使われている。しかし、自民党のホームページでは、選挙スローガンとしてむしろ「改革実行力」が強調されていた。自民党のコミュニケーション対策チームは、安部内閣の支持率が低迷するなか、さすがに「美しい」ばかりを掲げて選挙を戦えるとは思わなかったのだろう。

 格差是正に関する政策スローガンである「再チャレンジ」のほうも、政権発足から約2か月でいわゆる郵政造反組を復党させたことにより、マスメディアなどではむしろ安倍政権を揶揄するときに使われるようになった。そのためか、安倍政権後半ではこの言葉はあまり用いられなくなる。

 安倍の国会演説は165・166・168国会における3回である。このうち、参議院選挙後の168国会の所信表明演説には、もう「チャレンジ」という単語は出てこない。他の2つの演説には、施政方針・所信表明にかかわらず、6~7回は出てくる。また、168国会の演説では、「美しい国」の登場回数も1回だけになっている。政権末期においては、これらの政治スローガンの有効性の限界を安倍もその側近も自覚していた証拠と見てよい。

 政治スローガンは、その方向で実際に政治が進んでいることを実感できなければ、長期的に用いることはできない。また、受けとめる側が言葉にマイナス・イメージを付与してしまった場合には、当然、有効には作用しない。スローガンがいかによく知られたとしても、こうした点への配慮を怠れば、世論の支持喚起にはつながらない。安倍政権のコミュニケーション戦略は、まずスローガンの効果の維持において、必要な配慮が払われていなかったと評価してよいだろう。

(2)個人のコミュニケーション能力

 いくら巧妙につくられたスローガンなどをもってしても、首相個人にコミュニケーション能力が不足している場合、政権が国民世論を鼓舞することはむずかしい。安倍政権についてはこうした点も指摘することができるように思われる。

 世論に立脚した政治において、国民の意向に対する「応答力の不足」は、いずれは内閣支持率の低下となって現れてくる。政権発足当初からの安倍内閣の支持率低下は、多くの政権に見られる「発足当初の期待感の喪失」の域を超えて半年以上にわたって持続したが、その理由の一端も「応答力の不足」に見いだせるのではないか。

 この間、マスメディアを賑わせた政治的話題といえば、小泉政権時代の「造反組」に復党を許したことであり、さらには閣僚の失言や失態に寛容をもって対処した点であった。国民からの支持が重要な政治力となる時代にあって、こうした首相の政治判断は、あえて国民感情よりも内々の人間関係を優先させるかのように見えたのであろう。支持率が大きく回復しなかったことから見て、おそらく国民は安倍政権の「応答力」に少なからず幻滅し、心理的距離を置こうとしたのかもしれない。

 安倍については、日常的な言葉遣いにおいても、自己主張を優先させるあまり、応答力を軽視する言語政治的な癖がある。たとえば安倍は、自分の発言の締めくくりに、「このように思います」と言うのが口癖である。記者会見などでも、早口で話したあと、こうした表現がつい口をついて出てきてしまう。この言い方は、とにかく自分が話すべき事を早く話さなければならない、という意識の表れであり、見方を変えれば、相手を意識し、その気持ちを惹きつけようという意図の少なさを表している。

 そもそも、自分が「このように思う」ことと、相手に「このように思ってもらう」こととは大違いであり、言語政治的には当然、後者のほうが政治的である。そして、民主政治が「説得による正当化」を必要とする以上、言うまでもなく重要なのは後者のほうである。相手が納得しない一方的な言い方は、いくら懸命に声をはりあげても、やはり自己中心的にしか見えないからである。

 一般に、コミュニケーションが一方的であれば、国民の側は語りかけられている、あるいは聴いてもらっている、という感覚を得られない。そこにレトリックの政治的必要性が出てくるのであり、その欠如はしたがって「雄弁」とは言えない。この意味で、安倍には雄弁の、あるいはレトリックのセンスが欠如していたと言ってよい。

 安倍の政治的レトリックを小泉のものと比べてみよう。相手を引き込むレトリックの基本テクニックの1つに相手にとって身近な例を挙げるというものがあるが、公的な記録がある国会演説を題材に、こうした例示についての両者のレトリックの違いを見てみたい。比べるのは演説の末尾の部分、おそらく官僚の手が最も入りにくく、どちらかというと首相本人の政治に対する気持ちが現れやすい部分である。なお、安倍の国会演説のうち本格的なもの、つまり施政方針演説は166国会のものだけである。これと小泉の164国会の施政方針演説とを比べる。内容はともに国民の可能性を指摘し、その前向きな態度を鼓舞しようという下りである。

 小泉は次のように述べる。

 欧米諸国で日本食を広めている料理人、フランスでワイン醸造を始めた女性など、海外の様々な分野で日本人が活躍しています。また、外国人が日本に来て、廃業寸前の造り酒屋を再建し町おこしに貢献したり、老舗旅館の女将となり地域の温泉地を国内外に広めるなど、生き生きと活動している例も多く見られます。国技である相撲では、朝青龍や琴欧州の外国人力士が活躍する一方、野球の本場アメリカでは、野茂、イチロー、松井、井口選手など大リーガーとして立派な成績を上げています。皆、志を持って挑戦し、懸命に努力し、様々な試練を克服して、夢と希望を実現しています。我々には、難局に敢然と立ち向かい困難を乗り越える勇気と、危機を飛躍につなげる力があります。先人たちの築き上げた繁栄の基盤を更に強固にし、新しい時代、激動する内外の環境変化に対応できる体制を構築しなければなりません。(164国会施政方針演説)

 挙げられている例は具体性に富んでいる。また、最後の部分の意味上の主語は「我々」である。「激動する内外の環境変化に対応できる体制を構築する」使命を帯びているのは小泉だけではない。

 一方、安倍は次のように述べる。

 お年寄りの世話をしている方や中小企業で働く方、看護師、消防士、主婦や、様々な職場、そして各地域で努力しておられる、数えきれない多くの方々が、毎日寡黙にそれぞれの役割を果たすため頑張っています。本来、私たち日本人には限りない可能性、活力があります。それを引き出すことこそ、私の美しい国創りの核心であります。(166国会施政方針演説)

 この演説の下りには、職業名は並んでいても具体的な人をイメージさせる言葉はない。そして、最後の部分を見るかぎり、言いたいことは、結局「日本人の限りない可能性を引き出すこと」が「私の美しい国創りの核心」だということである。つまり、あくまでも「私の国創り」の話になっている。

 政治家はたしかに自己主張が強くなければいけない。しかし、国民に対してメッセージを発するとき、つねに自己にこだわった発言をしていればよいかというと、そうではない。自己主張にこだわれば決断力をアピールできる。だが、それは国民の共感を得られなければ、「応答力の不足」を伴う独善にしか見えないにちがいない。おそらく安倍の「応答力」に欠けた言葉遣いの背景には、自己あるいは自己の理念へのこだわりがあり、さらに加えてレトリックへの関心の低さがあったように思われるのである。

 ちなみに、安倍は、対国民だけではなく対マスメディアの政治コミュニケーションにおいても、しばしば問題を起こしている。毎日行われる記者とのやりとり、いわゆる「ぶらさがり」などで、記者たちの質問にしばしば逆質問で対抗したのである。「復党について党内に不満があるようだが」と問われると「だれがいるのか言ってみろ」というような返答をし、「公務員制度改革は必要なのか」と問われると「必要じゃないと思うのか」と切り返したりしてしまう。しかも、敵対的な印象を与えるこうした言い返しは、そのままテレビのニュースなどで流され、国民が目にすることとなった。

 こうした点は、本来、安倍の言動に気を配る側近たちが注意すべきことである。ゆえに、安部の政治コミュニケーションの問題点については、安倍自身についてだけでなく、安部政権の広報スタッフについても、問題があったとしなければならないだろう。

(3)スタッフのチームワーク

 安倍政権では5人の補佐官の1人として広報担当が置かれ、2005年の総選挙のさいの自民党の選挙広報戦略で名をあげた参議院議員の世耕弘成が就任した。小泉の後継者はだれであっても、あのような「media celebrity」にはなれない(注8)。したがって、広報チームによる積極的な補佐が必要であり、その中心的役割を担うべく広報担当補佐官が置かれたと考えてよい。

 広報担当補佐官の役割は、内閣の広報チームの指揮、マスメディアの取材に対応する首相や官房長官の補佐、マスメディアに対する直接的な情報提供であった。さらに、首脳会談などが行われるさいなどには、どのような記者発表をすべきかを相手国の報道官などと協議し、政治的判断をする役割も担っていた。世耕は、広報チームを使ってインターネットによる「ライブトーク官邸」を始め、ほぼ毎朝、官房長官と打ち合わせをしたと述べている(注9)。ただし、首相の「ぶらさがり」については、当初、必ずしもそのチェックの任務を帯びていたわけではなかったことを認めている(注10)。

 安倍政権におけるスタッフ制度の運用上の最大の問題点は、補佐官と秘書官との役割分担の不明瞭さに求められるべきだろう。特に広報については、広報担当補佐官と日程などを管理する政務の総理秘書官との間に意思疎通のトラブルがたびたびあった。実際、復党問題のときの安倍のテレビ出演やG8サミットの開催地のテレビ発表は総理秘書官がテレビ局との交渉によって実現させたものであり、これを知らされていなかった世耕と内閣広報室が急遽、内閣記者クラブに情報を流すという事態もあった。言い換えれば、テレビが重要な政治広報の場になっているにもかかわらず、しかも個人的な能力不足をチームで的確に補わなければならないときに、安倍政権の広報は一元的に管理されていなかったのである。

 以上のように、安倍政権については、スローガンなどの政治的言葉、発言者自身のコミュニケーション能力、コミュニケーション対策スタッフのいずれについても、問題点を指摘することができる。これらが、安部内閣の政権運営にマイナスの影響をもたらしたことは明らかである。

 ちなみに、こうした安部内閣の問題点を認識した上で政権のパフォーマンスの向上に努めることが、今後の政権には必要となろう。安倍から政権を引き継いだ福田康夫にそうした理解がまったくなかったことは明白ではあるが、この問題については稿を改めて論じることとしたい。


1 竹中治堅『首相支配-日本政治の変貌』(中公新書、2006年)、257ページ。

2 田中直毅『二〇〇五年体制の誕生』(日本経済新聞社、2005年)。

3 高瀬淳一『武器としての〈言葉政治〉 -不利益分配時代の政治手法』(講談社選書メチエ、2005年)。

4 高瀬淳一『「不利益分配社会」 -個人と政治の新しい関係-』(ちくま新書、2006年)。

5 高瀬淳一『情報政治学講義』(新評論、2005年)

6 たとえば、自民党の元幹事長である古賀誠は、2006年4月29日の福岡県柳川市の会合で、「小泉政権で一番反省すべきことは都市と地方であまりにも格差ができたことだ」と述べている。

7 その後、安倍政権は、環境政策のパッケージにも「美しい星」というかたちで「美しい」という形容詞を用いたが、この言葉は一般国民に深く浸透しなかった。

8 政治コミュニケーションの研究者であるRobert Dentonは、レーガン大統領の政治手法の研究から、テレビの政治的利用を余儀なくされる今後の政治リーダーは「media celebrity」でなければならない、と指摘している。(Robert Denton、 The Primetime Presidency of Ronald Reagan、 Praeger、 1988.)

9 世耕弘成ブログ(http://blog.goo.ne.jp/newseko/)等を参照。

10 柿崎明二・久江雅彦『空白の宰相―「チーム安部」が追った理想と現実』(講談社、2007年)、40ページ。