高瀬淳一 公式HP

Home >情報政治論・言葉政治論 >情報政治論・言葉政治論(過去の論考)>論考

野田佳彦元首相の言葉力

高瀬のブログのリファイル

野田新首相の言葉力 2011年9月

 本日、野田新内閣が発足した。これまでに見られた野田さんの政治的な言葉遣いについてメモしておきたいと思う。

 よい点:①政治演説特有の煽りの少ない純朴な語り口、②他の政治家がいやがる政策=財政改革をあえて主張するなどは実直な印象(こざかしさがない印象)

 理由:政権交代後の2つの政権は、ともに首相の発言が軽く、国民の信頼を失ってきた。(例:鳩山の普天間、菅の原発関係の思いつき発言)。しかも、二人とも、どこか言葉が自分のものでないような印象があった。(例:鳩山の友愛はおじいちゃんの言葉、国会演説は劇作家が下書き)。菅の国会答弁は、当初、官僚の文書を下を向いて読むだけで、批判を受けた)。民主党に対する国民の政治不信感の高まりが首相の言葉に信頼がもてなかったからだとすれば、野田さんの実直な話し方は民主党への信頼回復に向けた一歩になりうる。

 問題点:①正直すぎる語り口、②ストレートすぎる政策提言 (とくに財政再建論を出したこと) 理由: 増税など難しい政策は、たんにその必要性を国民に訴えるだけでは実現しない。わたしが「言葉政治力」と呼ぶような戦略的な言葉の使い方が必要となる。あまりに純朴すぎる言葉遣いは、たんに政治的レトリックや弁舌の技量の低さゆえかもしれない。

 自己中心的・打算的に見えたリーダーの後だけに、ずるさがないように見えることは必要だが、代表選における国民向け発言や新内閣発足直後の記者会会見には、まったくと言っていいほどレトリック的な工夫がなかった(内閣のネーミングすら拒絶した)。今の時代のリーダーに必要な資質はコミュニケーション能力である。もう少し国民に感動を与えるメッセージが発せられてもよかったのではないか。

特有の言いまわしについて

 野田さんの「どじょう」をはじめとする比喩や若い頃の貧乏話などは、いわば自虐ネタである。国家のイメージを担うべき首相の候補者が、自分の顔の悪さをアピールするなど前代未聞である。これは、どうせ人気者になれないとの「捨て身」の戦法だが、偉そうに振る舞う政治家(災害復興大臣を就任直後にクビになった松本のように)や自己に固執する目立ちたがり屋の政治家(支持率が20%を下回っても首相の座にしがみついた菅さんのように)が多い中、過剰とも言える謙虚さは、「政治家らしくない」という一点だけでも、国民にとっては好印象なのかもしれない。

 なお、「サッカーのミッドフィルダーになってほしい」、「ノーサイドにしましょう」は、党内向けの「言葉政治」で、党の一致結束をうながすために戦略的に用いられた。その意味では言葉をうまく政治的に使ったと評価できる。

 ただし、これらは日本をどうしたいのかを国民に示す言葉にはなっていない。つまり「内向き」のメッセージである。国民に向け、どういう気の利いた台詞を吐くのか、はあまり気にしていない、ということらしい。党内調整一色かつ政策も内向き。どこか小渕内閣と似た印象がするのは気のせいだろうか。

所信表明演説について 2011年9月

 野田首相が就任後初となる所信表明演説を行った。

 震災復興を前面に掲げ、国民が「心を合わせ、力を合わせ」るべきことを強調し、自身は「正心誠意」に行動し、「愚直に一歩一歩、粘り強く」復興に取り組むといった姿勢を示した。また、社会保障制度のくだりでは「温もりある日本」を取り戻すとの価値観を示した。いずれも、日本人好みのフレーズで、その意味で野田政権を応援する気分になった有権者も多かったのではないか。

 しかし、具体策になると、あいまいな言い回しや官僚作文的表現も多かった。復興増税に関しては「複数の選択肢を多角的に検討」とし、増税への理解を国民に呼びかけることはなかった。財務大臣時代から主張してきた財政再建についても、「厳しい道のり」との認識を示し、「新たな会議体」をつくると言っただけで、それ以上の具体策はなかった。TPPについても、「しっかりと議論し、できるだけ早期に結論」と、先送り発言となった。普天間移設についても、辺野古という言葉を周到に避け、「誠実に説明し理解を求めながら、全力で取り組む」といったあいまいなフレーズに落ち着いた。

 さて、いくら日本人好みとはいえ、そして震災対策が急務であるとはいえ、この演説は「首相の政治演説」として質の高いものだったかといえば、それはちがうと思う。

 そもそも、首相は国会演説で自身の国家ビジョンなどをきちんと示すべきだ。復興は当然のことなのだから、それを踏まえて、将来どういう国家に日本を導いていくのか、もっと語ってほしかった。また、「愚直に」についても、愚かで素直だけが自慢のリーダーでこの国難を乗り切れるのか、という疑問が残る。「一歩一歩」についても、もっとスピード感をもって、「十歩、百歩」でやってほしいと願う被災者も多いはずだ。

 たしかに、「一人ひとりの国民の声に、心の叫びに、真摯に耳を澄まします。」というのは、悪いことではない。だが、聞き役に徹するだけで、自分が国民向けメッセージを発しないことを正当化してはいけないだろう。「温もりある日本」と言うわりには、「3・11」から半年にあたる11日、野田首相から被災者に向けたメッセージはなかった。マスメディアを通じた国民向けメッセージである日々の「ぶらさがり」も拒んでいるという。

 「正心誠意」は勝海舟の言葉だとマスメディア向けには解説された(本当は『大学』が原典なのだが)。江戸城明け渡しで活躍した勝海舟の言葉を使うとは、野田首相は政権明け渡しの覚悟もしているということなのだろうか。

施政方針演説のがっかりポイント 2012年1月

 昨日,第180国会が開会され,野田首相が施政方針演説を行った。政治演説の分析をしてきた者としては,気がかりな点を指摘しておきたい。

 1.なぜ国民への呼びかけがないの?

 これだけ明瞭かつ具体的に増税路線を打ち出していながら,演説のなかに,痛みを感じる国民に向けた激励の言葉はなかった。国会演説はたしかに国会議員に向けたものである。だが,NHKで中継されるし,各マスメディアの報道でも大きく取り上げられる。演説の聴衆は国民すべてと考えるべきだろう。ならば当然,国民に負担を強いる政策をやろうというのであれば,演説には国民向けのメッセージがなければならない。

 演説には「国民の皆様への情報発信に全力を尽くします」という言葉があったが,にわかには信じられない。それならば,なぜこの演説で言葉を尽くさなかったのか。自分勝手に決めたことを報告するのが野田首相の「情報発信」なのか? 民主党の首相のくせに国民とともに決めていこうという姿勢がなさすぎはしないか?

 ちなみに,演説では「熟議」という言葉を使ったが,本来,この言葉は「与党と政府がたくさん議論したこと」を意味するものではない。「熟議の民主主義」は国民が熟議することにポイントがある。民主党議員が「熟議」したのだから,それで増税してよいだろう,とはいかないはずだ。

 2.なぜ自民党元首相の発言を引用したの?

 野田さんは,これまで2回の国会演説では,被災地を元気づけようと,福島の高校生たちの言葉や仙台市に住む若き詩人の言葉を引用した。今回引用したのは,こともあろうに福田・麻生という自民党の元首相の言葉だった。当然,これは国民に感動を与えようとしたものではない。ねらいは自民党の説得だろう。(元首相の言葉ではなく,自民党のマニフェストの消費税増税の記述を指摘してもよかったのだが,自分たちのマニフェストに増税が書いてないのでできなかったのだろう)。

 しかも,そうした,党利党略の演説をしておきながら,「今こそ、「政局」ではなく、「大局」を見据えようではありませんか。」などとシャーシャーと述べた。大局を見据えれば,言葉に信頼がおけない総理が2人も登場し,3人目はマニフェストに書いていない増税の具体策を出してくる,今の民主党政治を改めるほうが先のはずだ。これまでの民主党政権の在り方が政治不信を招き,ゆえに参院選で負けて「ねじれ」を生じさせ,ゆえに大阪市長のような既成政党に依拠しない政治家の台頭をもたらしているのは,明らかではないか。

 3.なぜ自虐的で,かたくななの? 

 演説で野田さんは,「拍手喝采を受けることはないかもしれません。それでも、先に述べた大きな改革は、必ずやり遂げなければならないのです。」と述べた。国民が自分を愛してくれなくてもかまわない。自分は(自分が勝手に決めた)やるべきことをやる。これは,自虐的人間が陥りやすいかたくなな自己中心主義である。「国民のため」と言いながら,国民とともに考えるつもりはまったくないのだ。

 ちなみに,就任直後の所信表明(178回)では「私は、この内閣の先頭に立ち、一人ひとりの国民の声に、心の叫びに、真摯に耳を澄まします。「正心誠意」、行動します。」と述べている。支持率も下がってしまい,もう国民の声など聞きたくないのだろうが,民主党のリーダーが独善的に振る舞ったのでは,国民の政治不信をあおるだけだ。

 今回の演説は,「どうせ国民は「拍手喝采」をしてくれないのだから,自民党だけ口説き落として増税してしまおう」という野田首相の政局的意思の表明にすぎなかった。きわめて残念だと言うほかない。

野田首相が民主党代表選挙で再選 2012年9月

 政治という人間の営みでは,「感情」が重要な原動力となっている。ただし,それは政治家が国民の感情を掻き立てるという話であって,冷静であるべき一国の政治家が感情家であってよいという話ではない。

 今日の野田氏の話を聞いて,彼は今もなお「自分の感情」へのこだわりと,その感情の吐露で特徴づけられる人だと思った。

 前回と今回の代表戦の違いについて,野田氏本人は,前回は高揚感があったが,今回は緊張感を感じたと述べた。気持ちを新たにするのはよいとしても,前回は「うかれていた」と吐露する必要まではなかろう。その後,「私心はない」と言った。そのうえで「国を愛している」と叫んだ。公のために自己犠牲をする覚悟を示したかったのだろうが,自己犠牲もまた自己中心的な感情であることに彼はいまだに気づかない。私心なく自己犠牲のもと頑固に愛を貫くといった話は,演歌の中でするものだ。

 「チームワークを大事に」といった発言もあった。そのくせ,リーダーの決断の重みを力説し,「わたしの後ろにはだれもいない」とまで述べた。

 彼には「みなさまに支えられながら」といった発想が結局なく,なにかあると「最後はオレが決める」と言いたがる人なのである。そういう人がチームワークを語っても,それは口先だけで終わってしまうにちがいない。(実際,さっそく人事の話も,国連総会に行く前に「自分がさっさと決める」と宣言していた)。

 前回の「ノーサイド」から1年もしないうちに,党は分裂した。今回の「チームワーク」がウソでないならば,それは早々,人事に反映されるはずだ。特に注目は官房長官と補佐官である。この1年,官房長官や補佐官ばかりと話をし,なかなか一般の民主党議員と意見交換をしないといった側近政治が見られた。この「門番政治」は本当にチーム政治に変更されるのだろうか。

 今日,野田氏は「私には笑顔がない」ともいった。子どもやお年寄りの笑顔を取り戻したいというような話だった。笑顔はそれだけで他者を幸せにする。素朴な疑問として,笑顔をふりまかない人が,どうやったら他者を元気づけることができるのだろう?

 そもそも野田氏は,自分に「国民を元気づける力がないこと」を強調しすぎる。前回は自分を「どじょう」と卑下してみせた。今回は「笑顔はない」と言った。国民は自国のリーダーに国のイメージを重ねやすい。どろくさい首相,笑わない首相を,国民が喜んで支持すると思っているのだろうか。いや,やはりこれまで同様,国民の支持などいっさい気にせず,自民党との野合だけを利用して,勝手に「決める政治」を進めていくつもりなのだろうか。

 候補者4人の演説では,赤松氏が「弱者の立場」,原口氏が「国民との約束」,鹿野氏が「復興政策」を強調したのに対し,野田氏は初めて自分の政権のスローガンらしき言葉として「日本を元気にする」を用いた。4人のなかで最も抽象的である。

 わたしには,こうした抽象的な標語を語るセンスが理解できない。マニフェストを掲げて選挙を戦ってきた民主党のリーダーなのである。国民注視の中,何をしたいのかわからない言葉を投げかけたのはなぜか。そもそも,増税しておいて「元気にする」と言われても実感がわかないではないか。

 わたしには,もしかするとこれも自分に課した言葉かもしれないと思えた。笑顔で元気な橋下氏と日本維新を前に,まっさきに元気にしたいのは,きっと自分であり民主党なのだろう。

 そういえば,野田氏は年頭に「ネバー,ネバー,ネバー,ギブアップ」と叫んだが,これも自分を励ますためだけの言葉であった。本来,これは被災地の方々に投げかけるべき言葉である。野田氏は自分について語る言葉が多すぎる反面,国民を鼓舞激励する言葉はこの1年ほとんどなかった。

 国への愛の気持ちを胸に秘め,笑いもせず,「わたしが最後の砦」と思って無理やりの決断(=独断)政治をする。こういう自虐的かつ自己中のリーダーが「チームワークを大事に」というのは偽善である。今日は,民主党の国会議員を前にしての話だから仕方ないのだろうが…。