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「総選挙版マニフェストの読み方」
誰が不利益分配を真摯に語っているか
(『日本の論点2008』文藝春秋)

マニフェストにこめられた周到な作為 

 次回の総選挙では、とにかく各党のマニフェストをじっくり吟味しよう。政策の比較をするためではない。各党の政治にたいする態度が、真摯なものか姑息なものかを見極めるためだ。

 そもそもマニフェストとは、政党の選挙宣伝用文書である。当然、得票に結びつかないことは書かれていない。どちらかといえば、人心を掴むための周到な作為が込められていると、警戒しながら読むべきものである。

 作為がある以上、マニフェストを読めば政策本位の政治選択ができる、などと安直に信じるのはどうかと思う。だが、それでも、この宣伝文書が重要な判断材料になることには変わりはない。各党の政治的センスや政治的誠実さを感じ取ることができるからだ。

 マニフェストが必ずしも政策本位の文書と言えないことは、この導入を提唱した民主党の「政権公約」を見れば明らかである。二〇〇七年の参院選用のマニフェストが手元にあれば、ぜひもう一度見てほしい。

 表紙には、小沢代表の大きな顔写真が載っている。政策論集だったら、キャッチフレーズのほうが写真より目立つべきだが、各党ともそうなのだから、とりあえず良しとしよう。

 驚くべきは、ページをめくると、そこにもまた小沢代表の大きな顔写真が出てくることである。横には小沢代表からのメッセージがあるが、言葉の数はそう多くない。しかも、その次の見開きでも、またその次でも、全ページ大の写真とちょっとしたメッセージというパターンが繰り返されている。表紙も入れると、最初の七ページのうち四ページは小沢代表の写真である。これではまるで小沢一郎写真集だ。

 もういいかげんに政策論に移るかと思うと、その後には「政治家・小沢一郎の歴史」である。初当選のときの写真や、なぜか自民党幹事長時代に選挙に勝って拍手している写真も載っている。愛犬チビも「自慢の烏骨鶏」も登場する。

 言うまでもないことだが、政党の出す「政権公約」は党首個人の私信ではない。しかも参院選は総理大臣を選ぶ選挙ではない。

 にもかかわらず、民主党は、マニフェストの冒頭で小沢個人を強調した。「もう一度政権交代をしてみたい」という小沢代表の野望を前面に押し出した。私は、マニフェストを提唱した政党が、それを「政策は二の次」の政治宣伝文書に変えてしまったことをじつに残念に思っている。

ポピュリズムの常套「現金給付」と「役人叩き」

 もちろん、民主党のマニフェストに、政策についての提言が載っていないわけではない。ただ、悲しいことに、そこにも姑息な選挙戦術の片鱗が見てとれる。

 民主党が二〇〇七年の参院選で掲げた中心政策は、「三つの約束」と名づけられている。「年金」の全額支払い、一人月額二万六千円の「子ども手当」の支給、農業の「戸別所得補償制度」の創設、の三つである。年金問題はこの選挙の争点であったのだから、年金の話が最初に来るのは当然である。また、少子化対策や地域活性化策を掲げる必要性も、たしかに理解はできる。

 しかも、この三つの組合せなら、高齢者、女性、農業従事者に支持者を広げられる。いずれも、従来、民主党が弱いとされたところだ。おそらく、選挙対策上も、この「三つの約束」は「得策」と判断されたに相違ない。もちろん、弱点克服に向けた努力は悪いことではない。

 だが、それ以上に私が気になるのは、「三つの約束」が三つとも現金給付にかかわっていることである。約束されているのは、突き詰めていえば、「全額支払い」、「手当支給」、「所得補償」なのだ。「良識の府」の選挙なのだから、ひとつくらいは憲法や安全保障や教育などの政策を入れてもよかったはずなのに、なぜかカネをちらつかせる政策ばかり並んでいるのである。

 これでは、旧い自民党の時代にバラマキ政治の恩恵を受けてきた人たちが、再びあの時代が返ってくると期待してしまうではないか。そうでなくても、小沢代表には、田中角栄のもとで政治を学び、竹下登と政治活動をともにしてきたという過去がある。少なからず金権政治の臭いがする政治家なのだ。

 私は、小沢民主党は選挙に勝つためと割り切って、姑息なポピュリズムに走ったと考えている。誤解があるといけないので学問的解説をするが、「ポピュリズム」とは、ポピュラーである、つまり人気があることとイコールではない。むしろ、人気のない政治家が、なんとか人気を得ようとして採る政治手法である。その特徴は、有権者に金銭的利益を約束することと、悪いのは役人だ、などとエリート批判をすることである。

 役人のせいで「行政のムダ」がある。それをなくせば、約束の現金給付は可能だ。高速道路も高校の授業料も無料にできる。これが、民主党のマニフェストの要旨である。国民の側に新たな負担はない。もらうだけでよいのだ。

 国民に「痛み」への覚悟を求め、公共事業型政治からの転換を志向した小泉元首相は、人気はあってもポピュリストではない。現金給付と役人たたきに徹する真のポピュリストは、どうも民主党にいるようなのである。

国民に「痛み」を語らないのは卑怯である

 これだけ財政赤字がある国で、こうしたポピュリズム的な政治宣伝を許してよいはずはない。いくら票がほしいからといっても、現金給付だけで痛みをまったく語らないというのは、有り体にいって卑怯である。

 私は民主党が憎くて批判をしているのではない。選挙目当てにカネをちらつかせ、しかもそれを平然と「まともな政治」と呼ぶ態度が許せないのだ。

 政党がバラマキ合戦を始めたのでは、この国の財政は破綻の危険から抜け出せない。それでは、将来世代にたいして、あまりにも無責任である。

 財政状況の悪化で苦しむのは、将来世代の子どもたちである。かれらは、前の世代が残した膨大な借金を背負わされたうえに、世界一の高齢化国を支えていかなければならない。

 私は、「行政のムダ」があるなら、それをなくして出てきた金は、真っ先に財政健全化にあてられるべきだと思う。そもそも民主政治では、大型増税のような「不利益分配」の実施は至難の業だ。加えて、今や衆参には「ねじれ」がある。こうした状況下では、せっかくの「虎の子」をバラマキで蕩尽してはいけない。

有権者の心意気―「未来を救うための一票」

 政治家は、すぐに目先の利益で票集めをしようとする。有権者が自分の「生活第一」で政治選択をすると思い込んでいるからだ。

 ならば、有権者は政治家たちに、「未来を救うための一票」を行使する姿を政治家たちに見せつけなければならない。今の満足を犠牲にしても、国の存続を願い、将来世代のために負担を甘受する。そういう心意気があることを、なんとしても政治家たちに知らしめなければならない。

 基礎年金への国庫負担割合の引き上げは、二〇〇九年度と決まっている。なにもしなければ、財政はますます逼迫する。

 こうした中、真摯な政治家ならば、「不利益分配」が不可避であることを語るほかない。それを狡猾に避け、逆に「利益分配」だけを約束する政党や政治家は支持されるべきではない

 次の総選挙では、各党のマニフェストをじっくりと読むとしよう。そして、万一、そこに得票だけを意識した姑息なバラマキ戦術を見つけたら、その政党・候補者には投票しないでおこう。それが有権者の矜持というものだと私は思う。