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高瀬教授のサミットこぼれ話(中日新聞)

1 サミットと総選挙

 過去に日本で開催されたサミットは五回。そのうち二〇〇〇年の北海道・洞爺湖サミットを除く四回では、その年に衆議院の解散総選挙があった。「サミットが日本で開かれると総選挙がある」とのジンクスが広まり、伊勢志摩サミットの今年も年初から衆参同日選がうわさされている。

 東京でサミットが開かれた一九八六年は当時の中曽根康弘首相が衆参同日選に踏み切り、自民党に過去最多の衆院議席数をもたらした。サミットで「世界的な政治リーダー」というイメージを広めた、二カ月後のこと。この印象が強烈だったためか、その後、「サミットと言えば国政選挙」という連想が容易に働くようになった。

 参院選は三年ごとに行われる。そう都合よく日本開催のサミットの年と重なるわけではないが、その「チャンス」が今年やってきた。安倍首相は衆参同日選を決意するのか。伊勢志摩サミットは、これまで言われてきたジンクスが単なる偶然だったのかどうか、の試金石でもある。

2 欠席した首相も

 日本にとって重要な国際会議であるサミット。伊勢志摩サミットで42回目となるが、さすがに欠席した首相はいないだろうと思うと、さにあらず。

 一つは御本人に責任のない実にお気の毒なケース。サミット開催の10日前に当時の大平正芳首相が急逝したためだ。1980年にイタリアで開催されたベネチア・サミットのときのことで、首脳会議には大来佐武郎外務大臣が首相代理となって参加した。

 もう1つは笑うに笑えないケースで、94年にイタリアで開催されたナポリ・サミットのときのこと。当時の村山富市首相が歓迎夕食会の際、腹痛などに襲われ、翌日の会議を欠席するはめになった。緊張や旅の疲れもあったのだろうが、食べ慣れないイタリアンを無理して食べたせいだとも報じられた。

 とはいえ、その結果、大事な会議を休むことになったのだとすれば、健康管理にぬかりがあったとのそしりは免れないだろう。少なくとも、イタリア料理が悪いわけではない。

3 食に世界が注目

 前回に続いて「食」の話。サミットに来る首脳たちが何を食べるのかは、報道機関にとって重要なネタの一つであり、世界の人たちも強い関心を寄せている。

 昨年のドイツのエルマウ・サミットでは、開幕前にオバマ米大統領が野外でドイツビールを飲んだだけで話題となった。伊勢志摩の食を各国の報道機関がニュースとして流せば、きっと大きな注目を集めるはずだ。

 ちなみに二〇〇八年の北海道・洞爺湖サミットでは、会場となった「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」の中村勝宏シェフが総料理長として腕を振るった。日本人で初めてミシュランの星を獲得したフレンチのシェフ。初日の夕食会ではオホーツク産毛ガニのビスク(スープ)やキンキの塩焼きなど、地元食材を使った料理が出された。

 メニューに焼き魚が含まれたのは、和食が世界に誇れる食文化だからだろう。日本の首相の健康を気遣って…というわけではない。

4 沖縄の名所

 映画「ローマの休日」で一躍有名になった、イタリアの観光名物の彫刻「真実の口」。このレプリカが沖縄にあることは、あまり知られていない。

 二〇〇〇年の九州・沖縄サミットのとき、沖縄では一部の自治体が参加国との交流事業に取り組んだ。テロ対策がすべてに優先する今と違い、当時は首脳たちも結構出歩けたのだ。

 イタリアを担当したのが宜野座村で、この「真実の口」のレプリカを設置。当時のアマート首相が村を訪問し、レプリカの除幕式に出席した。今も村内の「道の駅ぎのざ」に置かれている。

 一方、宮古島にはドイツのシュレーダー首相が親善訪問した。明治時代、住民がドイツの難破船を救助したゆかりの地で、うえのドイツ文化村で歓迎式が開かれた。その際、シュレーダー首相が通った空港から文化村への道は「シュレーダー通り」と呼ばれている。

5 願いはかなう

 二〇〇八年の北海道・洞爺湖サミットは七夕の夜に始まった。来日した各国の首脳と配偶者は短冊に願いごとを書き、ササ竹に飾り付けた。

 ドイツのメルケル首相は「我々の会議の上に良い星が輝きますように」などと、夜空にちなんだメッセージを書いた。ロシアのメドヴェージェフ大統領は「織り姫と彦星の間に天の川が流れ…」と書き出したものの、短冊の大きさを知らなかったのか、このコラムの残りを埋め尽くすほどの長文を書いた。

 議長の福田康夫首相が書いたのは「温故創新 人類の叡智に学び未来を拓く」。温故知新をアレンジした「温故創新」はお気に入りで、前年末の訪中の際も、わざわざ孔子廟でこれを揮毫した。

 ちなみに、福田首相はサミットから二カ月もたたないうちに退陣を表明し、次の麻生政権を〝創新〟した。願いはすぐに天に届いたようだ。

6 早じまい

 サミットの会議日程は事前にきちんと決められているが、それでも会議が長引くことはある。反対に、議論がスムーズに進みすぎて、早く終わってしまうこともある。

 一九八九年のアルシュ・サミット(仏)と九八年のバーミンガム・サミット(英)は、会議の一部がキャンセルとなった。「予定の議題をすべて議論したため」というのが理由だった。

 アルシュ・サミットのとき、議長のミッテラン仏大統領はフランス革命二百年祭とサミットを結びつけ、各国首脳は多くのイベントに参加させられた。これに首脳たちの不満が募り、「もう十分!」という感じで会議を早めに切り上げようとしたため、らしい。

 バーミンガム・サミットでは、会議がなくなった午後、ブレア英首相がクリントン米大統領とともにサッカーのテレビ観戦に興じた。このため、ブレア首相がサッカー見たさに早く切り上げたとの解釈まで飛び出した。諸説あり、である。

7 サミット記念館

 二〇〇八年の北海道洞爺湖サミットを記念し、洞爺湖町は洞爺湖観光情報センターの中に「北海道洞爺湖サミット記念館」を作った。無料で入場できる。

 当時の「G8」と欧州連合(EU)の首脳が使った円卓と、拡大会合用の長テーブルが展示されている。円卓にさわることはできないが、立ち入り禁止のラインの手前にいすが一脚、撮影用に置かれている。首脳会議に参加した気分で記念写真が撮れるというわけだ。ただ、他の首脳たちの写真は立ち姿で円卓の周りに並べられているので、なぜか自分だけが座っている不思議な写真になる。

 このほか、配偶者プログラムで十二単の着付け見学があったことにちなんだ「顔ハメ看板」も。六人の首脳夫人に囲まれるようにして、十二単姿の自分の写真を撮ることができる。首脳夫人の名前をすらすらと言える人はいないだろうが、ファーストレディーの気分にはなれる、かもしれない。

8 開催直前の急逝・退陣 

 二〇〇〇年の九州・沖縄サミットの首脳会議が開かれた沖縄県名護市の万国津梁館。敷地内には、沖縄でのサミット開催を決めた小渕恵三元首相の銅像が置かれている。

 沖縄には米軍基地が集中し、それに対する反対運動が根強い。さらに、警備のための車両や人員を日本各地から移動する手間を考えれば、官僚たちから歓迎されるはずもなかった。それを小渕氏は政治力で押し切った。

 サミットの開催地を初めて地方、しかも沖縄に決めた小渕氏は、開幕の二カ月ほど前に急逝。九州・沖縄サミットの議長は森喜朗元首相が務めた。閉幕後、小渕氏の英断をたたえて銅像が建てられた。

 一方、〇八年の北海道・洞爺湖サミットの開催地を決めたのは、第一次政権のときの安倍晋三首相。だが、体調の悪化を理由に退陣したため、サミットでは福田康夫元首相が議長となった。今年は幸い、この二の舞いはなさそうだ。

9 ヘリや高級車を持参

 伊勢志摩サミットで日本にやってくる各国の首脳たちは、中部国際空港から開催地までヘリコプターで移動するはずだ。少なくとも、二〇〇八年の北海道・洞爺湖サミットの際は、日本の陸上自衛隊が特別輸送ヘリを使い、各国の要人を新千歳空港から開催地まで運んだ。

 ただ、米国のブッシュ大統領は自前の大統領専用ヘリを「持参」。当然のことながら、操縦士や整備士らも同行してきた。米国が自衛隊の操縦技術を信頼していない、というわけではない。米国の大統領警護の徹底ぶりは、それほどのものなのだ。

 サミットではヘリのほか、大統領専用車も持ち込まれるだろう。高級車「キャデラック」のリムジンカーで、「窓のある戦車」と呼ばれるほど、堅固な防護能力を備えている。これに乗って移動すれば安全なのだから、オバマ大統領にはぜひ、三重県内の各地を精力的に走り回ってほしい。