高瀬淳一 公式HP

Home>  著書一覧> 高瀬淳一著「サミットにおけるナショナリズムとグローバリズムの併存」

『リージョナリズムの国際政治経済学』(学陽書房 2001年)第2章

「サミットにおけるナショナリズムとグローバリズムの併存」

 2000年7月,第26回目のサミット(主要国首脳会議)が沖縄で開催された。東京以外で開催された初のサミットであり,また世紀の変わり目のサミットであったことから,否が応でも内外の関心は高まった。ただ,多くの報道がなされたにもかかわらず,サミットの本質についての議論は不十分に終わったようにもみえた。

 この章では,改めてサミットの学術的位置づけを検討しながら,あわせてサミットにおけるグローバリズムとナショナリズムの調整の問題について考察してみたい。サミットは,主権国家間の利害調整を基本的な目的としながらも,いまやグローバル・ガバナンスを担う国際レジームとしても機能するようになっている。国家レベルと国家を超えたレベルの政治が相克する場でもあるサミットについて考察することは,21世紀の政治のあり方を考える上で,重要な示唆を与えてくれるにちがいない。

1 サミットの理論的位置づけ

 サミットは,国際政治の主体とは見なされてこなかったためか,これまであまり理論的考察の対象にはされなかった。しかし,サミットの国際政治上の役割を議論するためには,あらかじめサミットの学術的位置づけを試みておくべきであろう。

 周知のごとく,国際政治の領域には現実主義理論と制度主義理論と呼ばれる大きな理論の系譜が存在する。大まかにいえば,前者は国際社会における「力」の役割を重視する。勢力均衡論に始まり,近年では「覇権国」の存在こそが国際社会の安定をもたらすという覇権理論へと展開してきている。一方,後者の制度主義理論は,国際社会における協調のメカニズムを重視し,当初は国際連合などの国際機関に期待してきた。最近では,多くの国の相互依存を前提とする「国際体制(レジーム)」の存在によって,覇権不在の状況においても国際社会の安定は達成可能であると主張している。

 冷戦終結直後,世界はアメリカの覇権による一国支配状況を呈するとの意見があった。だが実際には,多くの民族紛争が勃発するなか,アメリカ一国による世界の安定は実現不可能であった。また,経済的相互依存が進むにつれて,アメリカ一国が国際経済の主導権を握ることも難しくなっていった。経済についていえば,すでにアメリカは1970年代半ばから,せいぜいが大国のなかの中心国にすぎなくなっていた。アメリカ一国支配論は,結果的には現実的有効性をもたなかったのである。

 かくして,アメリカが国際社会において実行力を伴う政策運営をしようとするならば,アメリカに次ぐ能力をもつ国々との緊密な協力が不可欠であった。とはいえ,この協力を国際連合の場において行おうという意識は,アメリカにはなかった。おそらく国連の意思決定過程に多くの問題があることに,アメリカも気づいていたからであろう。

 国際連合をはじめとする多くの国際機関の問題とは,最も単純化していえば,主権国家平等の原則に基づく多数決の限界である。国際連合にしても,発足当初の参加国と現在の参加国とでは,数にして4倍の差がある。いうまでもなく,地球上の約200の国々のあいだには,人口や経済力などの指標においてかなりの格差がある。平等の理想の下に意思決定を行っているだけでは,実行力の伴う決定がなされないこともある。いまもおな,国際機関はこの問題に対処する必要に迫られている。

 加えて,国連の意思決定に「大国」の利害を反映させ,ひいてはそれによって実行力をもたせようとした安全保障理事会についても,意思決定能力の低下は指摘できる。すでに「大国」の定義を変更しなければならないほどの歴史的時間が経過したにもかかわらず,国連は遅々としてその改革に着手してこなかった。そのために,実行力と発言力のあいだに大きな乖離が存在することになった。

 アメリカ一国による支配と国連に象徴される全国家の協調がともに不可能に思われるなか,両者のいわば折衷的存在が発達を遂げていったとしても,なんの不思議もないであろう。こうして,主要国の協調による「グローバル・ガバナンス(地球統治)」のメカニズムとしてのサミット(Kirton 1999 p.46)が,国際政治の舞台に躍り出てくることになるのである。

 現在,たとえば金融危機が発生した場合,危機管理メカニズムとしての機能を発揮し,国際秩序を回復させる方向で指針を示すのは,サミットを中心とした主要国の会議である。経済協調ばかりではない。サミットは安全保障問題についても,すでに有効な危機管理メカニズムとしての実績を残している。

 1999年のコソボ問題の解決が,その好例である。アメリカはこの問題の解決に中心的な役割を果たしつつも,一国で打開することは無理と判断していた。軍事的解決を念頭に,もっとも実行力のある国際政治的枠組みとして利用されたのは,当初NATOであった。しかも,問題解決の手段としてNATOによる空爆を行おうとしたとき,アメリカを中心とした空爆参加国は,その行動に対する国連安保理の事前承諾をえようとはしなかった。いわば国連を無視したかたちで,紛争の軍事的解決がはかられたのである。

 しかし,最終的な外交交渉の場面になると,今度はサミットの枠組みが中心的役割を担うこととなった。「緊急外相会議」が開かれ,外交的な解決策が策定された。事実,コソボ問題においてユーゴが受け入れた停戦合意は,サミットがつきつけたものであった。さらに,遅々として進まなかった撤退交渉に対しても,サミットの定例外相会議の場から強い指示が出された。この一件で,サミットは,国連の中心的機能すら肩代わりできることを天下に示すことになった。

 主要国の協調によって国際政治の指導力を維持しようとする姿勢は,現実主義理論や制度主義理論の基本的な認識には適合しない。現実主義理論(覇権安定論)の立場に立てば,覇権はやはり一国によって担われるべきものである。現実主義理論を敷衍して,サミットはアメリカの覇権を補佐するシステムにすぎないと断じることもできよう。しかし,サミットは,しばしばアメリカの独断を制御する場でもあった。アメリカとてサミット参加国の多数の意向を簡単に無視することはできない状況に置かれている点では,他の参加国と変わらない。こうした点をみるかぎり,やはり現実主義の理論的視座だけでサミットを説明することは無理といわざるをえない。

 反面,サミットを古典的な制度主義理論によって説明することも困難である。サミットの政策協調能力に着目したとしても,一方でサミットは明らかに大国中心の「覇権的な」政治システムであるからである。その意味で,サミットは国際政治理論的にみて,現実主義理論と制度主義理論の折衷的存在になっているとするほかないのかれしれない。皮肉なことに,国際社会の安定についての理論的対立は,サミットという中途半端な存在によって,実質的に解決されているようにも思われるのである。

2 サミットの制度化

 ところで,サミットは,どのような特徴をもった国際政治の主体なのであろうか。サミットは,いわゆる国際機関としての発展を模索してはいない。それ自体は明確な実体のないまま,事実上の制度ととして機能しているのである。サミットは,名目的には毎年,翌年の開催国から参加各国への招聘があり,それに各国が同意し自発的に参加するかたちで開催されている。加盟手続きや退会手続きがあるわけでもなく,お互いが毎年の開催に納得して参加しているにすぎない。

 とはいえ,サミットを各国政治の寄せ集めとみなし,各国の政治情勢に還元して理解することは適切ではない。群衆のような未組織集団と同じく,そこに組織を見いだすことができないとしても,それを構成要素に還元して理解するわけにはいかないのである。サミットは少なくとも「協議体(consocium)」としての実体をもつ。また,その影響力を考えると,最近のサミットは一つの「体制=レジーム(regime)」になっているとも考えられる。

 ただし,ここでいう「レジーム」は,制度主義理論のいう「レジーム」とはやや趣を異にする。それは,参加国の数の少なさや設定されるルールの拘束力の弱さ,さらには決定される指針の多様性や暫定性などの点で,特定の条約をめぐって設定されたいわゆる「レジーム」とは性格がちがうからである。それでも,参加していない国を含めて地球規模で政治的影響力が及ぶことなどを考えれば,たとえ覇権的な協調体制であったとしても,一つの国際政治体制を実現させているという意味で,サミットを「レジーム」の語で描写することは許されるにちがいない。

 サミット研究の第一人者であるトロント大学のジョン・カートンが指摘するように,サミットはその25年間の歴史のなかで着実に「制度」としての発展を遂げてきた(Kirton 1998)。ただし,その制度化というのは,いわゆる官僚機構の整備を意味しない。各国の官僚機構を政治的にネットワーク化することによって実現する「制度化」である。事実,国連や欧州連合(EU)とは異なり,サミットにはいまもなお本部や常設の事務局がない。

 たしかに,サミットを「首脳が行う3日間の会議」と考えることは誤解を生みやすい。それはいわばサミット中のサミットである。この首脳会議の下にはさらに各種の協議体があり,全体として「サミット・レジーム」とでも呼ぶべきネットワークを構成しているというのが実態である。

 首脳会議の下に置かれているのは,ある程度独立的な色彩をもった閣僚会議や専門家会議(作業部会)である。独自の官僚機構を整えようとしなかったのは,おそらく参加国の国家としての枠組みを重視した上で,政策協調を模索したためであろう。また,サミットは,当初から官僚政治の打破を念頭においていた。それゆえ,制度化においても政治家である閣僚の役割が重視されたことはまちがいない。こうして,サミットの首脳会議は下部組織として閣僚会議を整備してきたのである。一方,専門家会議は実際には各国の官僚による会議であるが,そこでの合意事項は当然のこととして,最終的には閣僚会議や首脳会議で確認されることになる。専門家会議では,比較的政治色の薄い政策分野における協調政策が細部にわたって議論される。ちなみに,もっとも長期的に活動している専門家会議は,麻薬問題にかんする会議である。

 現在まで開催された閣僚会議には,蔵相会議,外相会議,通産相会議,環境相会議,教育相会議などがある。1982年に初めて開催された「四極通商会議」や1986年の東京サミットで設置された「G7蔵相・中央銀行総裁会議」も,サミット・レジームの閣僚会議である。これら2つの閣僚会議は,現在,年に3・4回開かれるのが常態となっており,そのために年1回開催されるサミット首脳会議とは無関係のように思われることも多いが,その設置を定めたのはサミットであり,その機能はあくまでもサミット・レジームという大きな枠組みのなかで遂行されている(Hajnal 1999)。

 閣僚会議や専門家会議には,たしかに一度しか開かれなかったものもあった。したがって増減があることは否定できないが,会議の種類と回数は全体として見れば着実に増加してきた。サミットが議論する政策領域が多様化し,またそれにともなって国際問題への対処能力の向上が求められるならば,サミット・レジームを構成する会議数が増大するのは理論的にみれば当然である。その意味で,サミット・レジームは依然として制度的拡大を続けているのである。

 たとえば,2000年には初めての教育相会議が日本で開かれ,また沖縄サミットでは新たにIT問題を議論するための専門家会議や再生可能エネルギーに関する専門家会議などの設置が合意された。さらにいえば,沖縄サミットではサミット参加国首脳と途上国の代表との会談も開催されたし,議長国首脳とNGO代表との懇談も行われた。サミットの政治的影響力の拡大は,いまやG8の枠組みをも越えて広がりつつあるのである。

 ところで,会議のネットワークであるサミット・レジームが,はたして国際機関のように恒常的な存在であるかは,議論の分かれるところであろう。しかし,たとえ機構化していなくても,それが事実上恒常的に機能し,またそこでの決定が参加国の政策に影響を与えるとするならば,それを実体として認識しないわけにはいかない。常に会議を開いているわけではないにもかかわらず恒常的機関として理解されている国会と同様,サミットもすでに恒常的に機能するものと考えてよいのではなかろうか。

 事実,首脳会議と首脳会議の間に重要な国際問題が発生したとき,サミット・レジームは閣僚会議や専門家会議を開催して,当面の問題状況に対処するようになっている。金融危機が発生したときにはG7が開催されるであろうし,それがテロ問題であれば専門家会議が開かれるであろう。よく知られた例をあげれば,1996年末におきたペルーの日本大使館人質事件の際にも,まだ正式参加をしていなかったロシアを含めたG8のテロ対策担当者が急遽会談し,いかなるテロにも屈しないことを定めた。枠組みとしてのサミットは,このような状況でも適切な対応策を検討する場として機能しているのである。

 理論的関心からいえば,サミットの存在とその発展は国際政治における新たなタイプの主体の台頭を示唆している。それは首脳会議を中心に運営される国際政治レジームである。現在では,1975年に登場したサミットだけでなく,1989年に閣僚会議としてスタートし1993年から非公式首脳会議をもつようになったAPEC(アジア太平洋経済協力会議),あるいは1996年から開催されるようになったASEM(アジア欧州首脳会議)も,こうした政治主体となっている。このうちAPECは,すでに首脳会議に加えて閣僚会議のネットワークを構築しつつあり,その意味ではサミットにちかい制度的発展の経緯をたどっている。G8サミットは,その意味で一つのモデルとなっているのかもしれない。

 なぜサミットやAPECには,協議体という様式が適しているのであろうか。両者の共通点を考えることで,その理由を明らかにしておこう。

 サミットもAPECも,いわゆる地域主義的な経済機構を横断的につないでいる。石油危機の経験をふまえて発足したサミットは,地域横断的な先進国のネットワークを構築することを主たる目的としていた。同様にAPECやASEMは,地域横断的な自由経済体制の設置をもくろんでいる。たしかに,アメリカはNAFTA(北米自由貿易協定)を擁し,さらにそれを南北アメリカ大陸全域に広げていこうとしている。EU(欧州連合)は,経済統合を果たし,政治統合に向けて着々と歩みを進めている。そうしたなかにあって,アジアにはまだ地域全体を包含するような国際機構が設置されていない。しかも,経済発展のためには,先行する欧米の地域主義経済との調整も不可欠である。90年代になって,サミット以外の協議体が発足したのは,こうした背景によるものとみてよい。

3 サミットの機能の拡大

 とはいえ,サミットとAPECやASEMは根本的な点で異なっている。サミットはすでに先進国経済の調整メカニズムとしての段階を通り越し,いまでは安全保障や国際社会問題も含めて,ありとあらゆる国際的な危機に対処するレジームに発展してきている。すでにのべたように,現在のサミットは,グローバル・ガバナンスを担う政治主体としての顔ももっているのである。

 サミットの歴史は,サミットが取り扱う議題の拡大の歴史でもあった。周知のごとく,サミットは石油危機とニクソン・ショックによって混乱した先進国経済を立て直す必要性から発足した。70年代後半はこの目的のためだけにサミットが開かれ,国際政治上の懸念があっても,それは雑談としてのみ話し合われるものと受け止められていた。

 しかし,ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけとして,80年代前半にサミットの協調政策の範囲は政治にまで拡げられる。西側「先進国」の経済協調に加えて,「西側」先進国の政治的団結を示す場となったのである。レーガン,サッチャー,中曽根といった首脳たちが,この時代を特徴づけた。

 1985年にドル高を是正するための「プラザ合意」が成立すると,サミットは再び経済協調を主たる議題とするようになった。もちろん,この80年代後半においても,政治問題がまったく話し合われなかったわけではない。とはいえ,1985年のゴルバチョフ政権の誕生によって新デタント時代が到来したため,安全保障問題についてサミットが政治的メッセージを出す必要性は少なくなっていた。

 1989年に始まる東欧とソ連の政治改革の影響によって,90年代前半のサミットの議題は再び政治問題を中心とするようになる。ソ連に対する政治的・経済的支援が検討されるなか,日本はこの機会を利用しようと,積極的に北方領土問題をサミットの場に持ち込んだ。天安門事件を引き起こした中国に対する制裁も,この時期のサミットでは重要な議題であった。こうしてサミットは,冷戦後の国際秩序を真剣に検討する場として,再び政治中心に機能するようになっていった。たしかに,ソ連の崩壊に対処する力を実際にもっていることからも,国連ではなくサミットが国際政治の中心的舞台となるのは当然のことであった。

 90年代のサミットは,環境問題・テロリズム・麻薬問題といった国際社会問題でも積極的に発言した。こうしたテーマはサミット発足当初から多少は議論されてきたものではあったが,90年代に入る頃には中心的テーマとして扱われるようになった。いずれもグローバルな社会秩序の問題であり,先進国間の経済調整や政治的団結とは基本的に性格を異にするものである。途上国問題への本格的な取り組みを含めて,サミットはこの時期から本格的にグローバル化し始めたといえるであろう(高瀬 2000)。

 そして,90年代後半に入ると,サミットはより積極的に「世界の司令塔」とでも呼ぶべき振る舞いを始める。ありとあらゆる国際問題について発言するだけでなく,戦後の国際政治の担い手であった国連や国連機関に対して組織改革を迫るまでに至ったのである。国連,IMF,世界銀行の指導者が呼ばれ,詳細にわたる改革案がサミット首脳の側から提示された。サミットは具体的な政策遂行の手段として,当初からこうした国際機関との連携を不可欠のものとしていた。だが,90年代半ばに明らかになったことは,サミットと国際機関との力のバランスがサミットの側に傾いているということであった。

 2000年の沖縄サミットでは,首脳会議の議題が三分割され,それぞれ2日目の午前と午後,そして3日目の午前に割り振られた。それぞれの議題群には「一層の繁栄」,「心の安寧」,「世界の安定」という副題がつけられた。これらは国際経済問題,国際社会問題,国際政治問題に対応するものであり,「一層の繁栄」では情報社会の問題や重債務貧困国問題などが,「心の安寧」では国際組織犯罪対策や環境保護,さらにはバイオテクノロジーの問題などが,「世界の安定」では朝鮮半島情勢や紛争予防策などが話し合われた。こうしたかたちでの議題の整理は初めてであったために多くの注目を集めたが,これは実際にはすでにサミットの歴史のなかで確立してきた議題の多様化を公式に確認し整序しただけにすぎない。それでも,こうした整理が必要なほどサミットが多種多様な議題を取り上げている点には注目すべきであろう。こうした議題の多様性だけをみても,本来はナショナルな利害調整の場であったサミットが変質し,いまやグローバル・ガバナンスのレジームとしての重要性を増していることがよくわかるであろう。

 なお,サミットの議題の多様化と増大は,宣言文の増大に如実に反映されている。サミット首脳会議にあわせて提出されるサミットの公式文書量は一貫して増加傾向にり,初期の5回のサミットの文書量の平均が英単語数で2500語程度であったのに対し,沖縄サミットの文書量はその10倍以上の30000語にも及んでいる(Takase 2002)。いうまでもなく,これは多岐にわたる議題に言及し,指針を示す必要があるためである。

 こうしたサミットの機能拡大は,ロシアの正式参加によってさらに加速されたといってよい。「西側」・「先進国」という参加の前提条件は漠然とした「主要国」に取って代わられたが,それによってサミットは地球規模の問題解決の場としてのアイデンティティを獲得することができるようになった。つまり,ロシアの参加によって,サミットの存在意義は失われるどころか,ますます強まっていったのである。

 1997年のロシアの正式参加は,会議の運営にも大きな変更をもたらした。首脳会議での政治協議と経済協議の位置が入れ替えられることになったのである。正確にいえば,ロシアは当初サミットの政治協議だけに限定して参加することが認められ,経済協議には参加が認められなかった。そのため,正式参加が認められた後,ロシアの体面を保つために,サミットはそれまでの政治協議をいわゆる正式の首脳会議と位置づけることとし,それまで中心だった経済協議を「G7首脳会議」として,日程上はサミットの開催を告げる夕食会の直前に置くことにしたのである。かくして,G7サミットでは主に先進国間の経済問題を討議し,G8サミットでは地球規模の国際問題を中心にあらゆる分野の課題を議論することになった。

 このG7+G8体制によって,サミットの機能拡大は容易になった。そしてさらに,98年には首脳会議と外相会議・蔵相会議が分離され,G8の首脳会議はなおのこと国際問題の解決にあたっての政治的指針を世界に示す場として特化していった。やや誇張していえば,サミットの首脳会議は,こうして「グローバル・ガバナンスを担う内閣」のようなものへと発展していったのである。

4 首脳会議である必然性

 サミットの政策決定過程を考える上で重要なことの一つに,それが各国首脳によって構成されているということがある。従来の国際機関は各国の代表や閣僚によって議論を行うのが常であった。しかし,サミットは当初から大統領や首相が集う会議であり,レジームとして国際問題に深く関与するようになった現在も,基本的には首脳会議としての体裁を崩していない。

 この点については,サミットは首脳たちの政治的パーフォーマンスの場であるからだ,という説明が多く行われてきた。官僚によって大半の意思決定がなされているにもかかわらず,政治家たちが目立ちたいから形式的に首脳会議を開くのだ,というジャーナリズムに根強いサミット論である。しかし,そうした点が皆無であるとはいわないまでも,この理屈だけで多忙な首脳たちが毎年一同に会することを説明するのは難しいのではなかろうか。ここでは視点を変えて「内政と外交のリンケージ」の必要性から,この疑問に対する解答を見出したいと思う。

 サミット参加者は,多様な政策領域にまたがる政治的判断を迫られる。それはたんに政策領域が多岐に及ぶだけではない。地域政治から地球政治までの多層化した政策領域を扱うのである。特殊なケースであったのかもしれないが,サミットが地域のかかえる政治問題と無縁でいられないことは,沖縄サミットに基地問題が事実上サミットのニュースとして各国のメディアに取り上げられたことからも明らかであろう。

 サミットで議論される政策は,ローカル・ポリティクスのレベルから,ナショナル,リージョナル,グローバルまで,いわば四層にわたって広がっている。沖縄サミットに即していえば,それは沖縄の利益,日本の利益,アジアの利益,そして地球全体の利益をめぐる議論がなされるということである。当然のこととして,サミットの参加者には,こうした四層のいずれの意思決定においても政策遂行能力をもっていることが望まれる。議論を容易にするために,これらの四層のうち前二者を「内政」に,後二者を「外交」にまとめるとすれば,サミット参加者の資質は内政と外交を結びつけて政策的判断ができる人ということになるにちがいない。

 サミットがいかに国際政治レジームとしての性格をもっているとしても,形式的にはそれはあくまでも各国の首脳や閣僚による会議である。したがって,そこでの合意事項は,いわゆる正統性をもった決定ではない。政治的意思決定はあくまでも各国の議会や国際機関のしかるべき意思決定機関が行うべきものである。たしかに,サミットが示すものは行動の指針であって,具体的な政策ではない。サミットの参加者に国内での政治的手腕が求められるのも,そうした理由による。つまり,一般に国内的利益の調整過程として機能する内政をあえて外交にあわせる政治力が必要なのである。

 サミット参加者には,内政からの圧力を受けて外交交渉に臨むとともに,外圧を利用して国内指向の政治状況を打破する役割を担う気概が必要となる。こうした任に当たることができるのは,各国政治の最高指導者をおいてほかにはない。国家関係が相互依存状態になっても,依然として国家は強い影響力をもっている。この枠組みを乗り越えても国際協調をはかることができるのは,皮肉なことにこの枠組み=国家の代表者以外には考えられないのである。

 しかし,ここに新たな問題が出てくる。なぜ首脳たちは,サミットにおいて示された指針を遵守しようとするのであろうか。翌年のサミットへの参加が見込まれる首脳の場合には,その動機の1つに他の参加者からの非難があることは想像に難くない。しかし,そうした見込みが薄い指導者たちも,サミットにおける協調政策には比較的積極的に対応しているようにみえる(Kokotis 1999)。

 おそらくその理由の1つは,各国の代議制デモクラシーが国内指向の政治のもたらす弊害に直面しているからであろう。国際化がいかに進もうとも,国内の政策決定過程では既得権益をもった集団が,しばしば過大な政治力を行使することがある。こうした事態に対しては,強いリーダーシップによる政治的解決が必要となる場合も多い。サミットはそうした場合の「正統性」を各国首脳に与えているのではなかろうか。かれらは,ナショナルな利益の実現のためにサミットの場で発言していても,いったんサミットで協調政策の指針が定められれば,今度はそれを利用して国内政治の硬直化を打破しようとすることがある。各国首脳にとってサミットの指針は,政治的リーダーシップを高める手段となっている。それがサミットの示した政策指針に対する各国の遵守度(compliance)を高めている一つの重要な背景であろう。

 もちろん各国首脳の名誉のために一言付け加えておけば,かれらはときに熱心に地球規模の利益を考えて政策指針をたてている。ナショナルな利益を抑制し,グローバルな利益の増進を進める政策である。橋本元首相が1996年のリヨン・サミットで提起した「世界福祉構想」なども,その一例である。首脳たちが国際的政治家として歴史に名を残したいという心理を共有しているためであるとしても,やはり官僚の会議とはちがった空気があることはまちがいないであろう。

 サミット・レジームにおけるナショナリズムとグローバリズムの併存は,じつはサミットが首脳会議であることによって確保されている。サミットが,機能を拡大しつつも,なお首脳会議を中心とした協議体であり続けているのにも,合理的な理由があるのである。

5 サミットの危険性

 最後に,サミット・レジームの問題点について考察してみよう。四半世紀の歴史をもつサミットは,近年の変化を見るかぎり,新たな段階に入ろうとしている。すでに述べたように,1997年のロシアの正式参加と1998年の首脳会議と蔵相・外相会議の分離によって,サミットのあり方は大きく変わった。それをここでは,グローバル・ガバナンスのための国際レジームになったと表現してきた。

 ここまでグローバルな役割を果たすようになると,当然のこととして,いまのサミットの姿が望ましいものであるかについての議論が必要になる。「主要国」だけが世界を牛耳るような体制でよいのか。もしその重要性を認めるとしても,はたして参加国はこのままでよいのか。こうした疑問はサミットに対する批判でもある。これらはどのように考えられるべきであろうか。

 大国中心主義に対する批判は,覇権安定論に対するそれと同じであり,つまりは現実的な問題解決能力を重視するか,あるいは理想主義的な平等理念を重視するかの問題である。本稿では,主要国によるグーロバル・ガバナンスが必要であるがゆえに,サミットもそうした方向で発展してきたという事実だけを指摘してきた。この議論は,理念としての妥当性の問題とは次元を異にしている。したがって,これ以上の議論はむずかしいが,すでにのべたように,サミットがアメリカの一国支配的状況を阻んでいることには改めて注目しておく必要はあろう。

 つぎの参加国が少ないことに対する批判は,「主要国」の定義の問題である。「先進国」である必要性がなくなった以上,たしかにサミットへの参加資格を主張する国が出てきても不思議はない。しかし,ロシアを参加させたのは,実際には参加させないことによる弊害を考えてのことであった。核兵器をもち,経済的に混乱している東側の大国をそのままにしておくことはできなかったからである。西側の経済体制に組み込むことで旧ソ連地域の安定を図ることは,その影響力を考えれば「グローバルな課題」であった。つまり,ある意味でサミットはロシアを「仕方なく」参加させることにしたのである。この文脈からいえば,現在,どうしてもサミットに参加させなければ,その弊害が地球規模に及ぶような危険な「主要国」は存在していないように思われる。

 ところで,これらの問題はいずれもサミットの構成に関する問題であり,サミットの機能そのものについては大きな危機感を表明してはいない。しかし,これまであまり議論されてこなかったサミットの機能に関する問題は,国際政治上の混乱をももたらしかねない重大な懸念を含んでいるように思われる。簡単にいえば,機能の問題とは,サミットがナショナリズムとグローバリズムのバランスを維持できるかという問題である。サミットは「国家」に深く根ざした存在でありながら,グローバルに振る舞わなければならないという矛盾をかかえている。この矛盾が表面化することが,おそらくサミットにとっては最大の危機になるのではなかろうか。

 この危険性は,図式的ないい方をすれば,2つの方向において表れる可能性を持っている。すなわち,①一国のナショナリズムがグローバリズムを破壊する危険性と②グローバリズムが各国のデモクラシーを破壊する危険性である。いいかえれば,①の危険性とは,サミットに対してある一国の内政が過度に影響することであり,反対に②の危険性とは,サミットが各国の内政に干渉しすぎることである。さらに,これをシステムの機能という観点から敷衍すれば,①の危険性はサミットが有効に機能しなくなることを意味し,②の危険性はサミットが機能しすぎて強力になりすぎるという問題ということができよう。

 このうち,一国のナショナリズムがグローバリズムを破壊する危険性は,サミットが国家を単位としている以上,いつ何時起きるかわからない恒常的問題である。事実,サミットの歴史を眺めると,ある首脳が自国のナショナリスティックな利害を強く主張し,全体の意思統一を阻んだ事例をいくつも見出すことができる。この経験をふまえていえば,たとえサミットの役割がグローバル化し,政策協調を当然視する雰囲気が支配的であったとしても,ある国の首脳の個性や思想によってサミットの決定が左右されるケースはこれからも出てくるにちがいない。その場合,一国のナショナルな利益を優先的に受け入れることは,サミット自身の機能の低下をもたらすであろう。

 ましてや,参加国のなかに極端な思想を有する政権が発足する事態となれば,それはサミットにとって存立の危機にもなりうる。EUは1999年にオーストリアに極右政党を中心とした政権が発足したとき,統合の大きな危機になるとして,内政干渉にちかい強い政治的圧力をかけた。同様の事態がサミット参加国に起きる可能性は否定できないのである。

 国家の克服が容易でない以上,この種の危険性を回避するための方策は,おそらく政策協調の範囲を広げることであろう。つまり,相互依存状況をさらに深め,一国の恣意によって全体が揺らぐことのないように体制の強化を図るのである。多くの会議が開かれ,多くの協調政策が合意されていれば,一首脳の思想のみでレジーム全体の方向性を変えることは困難になるにちがいない。

 それでは,もう一つの危険性,すなわちグローバリズムが各国のデモクラシーを破壊する危険性については,どのように考えるべきであろうか。

 この問題は,端的にいえばサミットの民主的統制の問題である。サミットが独走することは,各国の首脳たちがグローバリズムを正統化の根拠として,各国の民主的な政治過程を軽視することを意味するからである。しかし,現実問題として,サミットを各国議会が統制することは難しい。サミットにおける政策協調は,内閣の政策として議論される段階になるまで議会の統制を受けることはまれであり,またサミットが重要になればなるほど,そこでの国際公約に各国議員が反対することは困難になるからである。もちろん,議員たちの手でサミットにさらなるナショナリズムが持ち込まれることも望ましくない。

 実際には,これまで各国の議会や市民がサミットの合意事項に強く反発したというケースは少ない。これは,皮肉なことに,サミットが「無意味」と批判される程度の存在であり続けたことによる。首脳が集まったところでたいしたことは決められないという認識が広く行きわたっていたために,かえって各国の内政を担う政治的アクターたちからの反発を回避してきたといってもよい。たしかに,サミットで追求されることは政策の協調ではあっても統合ではなく,またサミットが示すものは指針ではあっても具体策であることは少ない。こうしたいわば曖昧なかたちで政治力を行使してきたことが,サミットに対する批判を最小限にしてきたのである。

 ところで,各国の議会の代わりにサミットを実質的な統制しうる存在を探すとすれば,現段階でその可能性が期待できるのは,途上国や国際的に活躍しているNGOであろう。実際,サミットがグローバル・ガバナンスを担うメカニズムへと発展した以上,途上国になんらかの配慮を示すことは不可欠である。そしてこのことは,途上国が事実上の発言権をサミットに対してもつようになる可能性を示唆している。その意味では,近年のサミットが途上国との対話を行っていることは,それがたとえ形式的であるとの批判はあるにしても,サミットの機能の点からも意味あることといえよう。

 本章は,サミットをナショナリズムとグローバリズムの併存する国際レジームと位置づけ,なぜそのような発展を見せてきたのかを理論的に考察してみた。ナショナルな利害調整の場であったサミットのグローバル化は,国連の機能低下のなかでいわば必然であり,良し悪しの判断以前に,実態として地球レベルのガバナンスを担うようになりつつある。本稿では,そうした視点からサミットの内包する問題点についても議論を行った。

 我が国にはサミット研究がほとんどなく,サミットの問題点についての批判も,ジャーナリストのそれをはじめとして,依然,最近の変化を無視した古びた無用論が多い。ここでの議論が,新たなサミット論のたたき台となることを願ってやまない。

参考文献