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ブリュッセル・サミットについて

ブログより

ブリュッセル・サミットとロシア追放

 2014年のサミット(主要国首脳会議)まで,あと1か月となった。40回目の記念のサミットである。今年のサミットはロシア・ソチでの開催が予定されていたが,ウクライナ問題によりロシア以外の7か国(開催国順に仏,米,英,独,伊,日,加)が3月に不参加を表明。7か国は,サミットが予定されていた6月4~5日に,ブリュッセルでロシア抜きのG7首脳会合を開くこととなった。

 ロシア離脱については,サミットの機能低下を危惧する意見も出ているようだ。だが,わたしは,そうは思わない。2つのことを確認しておく必要があるだろう。

 第1に,ロシアが抜けても,「サミット」は国際政治において依然として大きな力を持つ。また,その中心はG7で,G20がこれに代わると考えるのは時期尚早である。

 ① サミットは,国連の機能低下(約200か国が参加する「決められない国連」,安保理改革もできない「硬直化した国連」)を補い続けている。

 「サミット」というリーダー・グループ・メカニズムは,必要に応じて「G」の後の数字を変えながら,言い換えれば「主要国首脳会議」の「主要国」の定義を変えながら,国際政治状況の変化に対応しながらグローバル・ガバナンスの一翼を担い続けてきた。今後もこの点は変わらないはずだ。

 ② 現在,Gのメカニズムは,政治についてはG7,経済についてはG7とG20になっている。G8を離脱することになったロシアを含め,新興国はG20の重視を掲げるが,G20はリーマンショックへの対応上,首脳レベルに格上げされたメカニズムである(元々は財務相レベル)。

 G20参加国の政治理念の違いは大きく,外交・安全保障面での政策協調は無理だ。経済面についても,ロシアのような資源依存経済の国に,世界経済をリードする力はない。つまり,G20はあくまでもG7の経済政策調整機能のアウトリーチ(裾野を広げたバージョン)にすぎない。グローバル・ガバナンスのカギは依然としてG7が握っている。

 第2に,サミットは政治的価値観の共有を前提としたグループである。ロシアが抜けることは,早晩,不可避であった。その穴は,かりにそれが大きなものであれば,インドなど他の民主的な新興国で埋めればよいだけである。

 ③ ロシアがG7に加入したのは,G7が冷戦崩壊後の混乱を回避するためにロシアと協議する必要性があったためであった。なにしろ,核保有国の崩壊は史上初だったのだ。そこで,G7はまず1991年にロシア首脳との協議の機会を設け,その後1994年には「パートナー」,1997年には正式メンバーとなった。経済を含むすべての議題に参加するようになったのは2003年からである。2006年には議長国も務めた。

 この間,ロシアにはGメカニズムの価値観を共有することが期待された。市民革命以来多くの人々が求めてきた自由,民主主義,市場経済,国際法の遵守といった価値観である。しかし,2008年にプーチン大統領の任期(2期8年,3選禁止)が終わったとき,かれは腹心のメドベージェフを大統領に据え,みずからは首相として政治的影響力を保った。そして,大統領の任期が1期6年で2期までと延長された後,2012年に再び大統領に就任した。かれは制度上2024年まで大統領職にとどまることができる。四半世紀もロシアに君臨するとすれば,これはG7の民主主義とは相容れない「個人支配」と言ってよい。ウクライナ問題がなくても,ロシアは政策協調メカニズムであるG8に「居心地の悪さ」を感じていたことだろう。ロシアが個人支配に加えて独善的な大国主義に傾斜していった以上,離脱は時間の問題だったのではないか。

 ④ もしロシアが抜けたことでサミット・メカニズムに機能低下が生じるのであれば,たとえば新興国のインド,メキシコ,ブラジル,南アフリカ共和国などからいくつかの国を取り込んで,G9やG10にすればよい。こうした柔軟な対応策を取ることが,国連にはないサミット・メカニズムの利点である。事実,2000年代には「G8+5」などのアウトリーチ会合がたびたび開かれた。(洞爺湖サミットでは,ブラジル,中国,インド,メキシコ,南アが参加した拡大会合とアジア・アフリカの途上国との拡大会合を開催。)

 一方,サミットに代わるものとして,たとえば新興5か国が団結してなんらかのメカニズムを構築し,G7と対抗しながら,世界の政治・経済に影響を与えていくことは考えにくい。ともに協調的でない中国とロシアが,互いの経済政策について協議する恒常的メカニズムを作るとは思えないし,他の新興国がG7の誘いを断ってまで中ロ側につくとも思えない。たとえば上記の4か国は,G7とは政治的価値観を共有している。南アを除けば,与野党の政権交代もしている。一党独裁の中国や事実上の個人支配体制となったロシアと組むよりも,G7メカニズムに参加するほうが自然なのだ。それに,日本と同じで,安保理の常任理事国になれないのだったら,まずはサミットで国際政治における発言力を増す方を選ぼうとするだろう。新興5か国と先進7か国の政治的バトルは夢物語にすぎない。

G7をなんと呼ぶ? 

 ロシアが抜けた後のG7をどう呼ぶべきか? いろいろ考えた結果,やはり「主要国首脳会議」が適切だろうという結論にいたった。

 「先進国」では経済的視点が強調されすぎる。サミットでは経済だけでなく,ありとあらゆる国際問題が話し合われている。この事実を踏まえないといけない。加盟国数が昔に戻ったからと言って,役割まで昔に戻ったわけではないではないか。

 いまサミットはグローバル ガバナンス(地球統治・地球管理)のために貢献しようという国の集まりになっている。国際秩序の形成・維持に役割を果たす国の集まりなのだ。当然,これを壊そうとする国とは一線を画す必要がある。

 まずは,「大国」と「主要国」との概念の区別をしっかりしよう。世界に貢献する「主要国」は,経済力や軍事力があるだけでなく,まともな民主主義の国,人権尊重の国である。当然,国際法のルールを破るような国は含めていけない。反面,「大国」は,世界に貢献するよりも,自国の支配地域の拡大に興味をいだく。大国になったオゴリが,国際協調よりも自国中心主義を選ばせるのだろう。従来のルールを勝手に無視してそうした行動に出るのだから,国際秩序にとっては貢献どころか破壊のほうが目につく。グローバル ガバナンスに寄与するには,相応の経済力は必要だ。とはいえ,国際法に違反する国に一致して政治的圧力をかけるのは,経済的な意味での「先進国」だからではない。ゆえに,そうした役割を果たそうとする国は「メジャーな国」と呼ばれるべきなのだ。

 G7サミットを「先進国首脳会議」と呼んでいるメディアは,早々に「主要国首脳会議」に改めるべきだろう。どうしても経済的概念を使いたいのなら,使うべき対象はG20であり,それならば「先進国・新興国首脳会議」としてもおかしくはない。G7とちがって,話題は経済に限定されているのだから。

G7によるロシア追放ではなく,ロシアの自発的退会では? 

 改めて,ロシアとサミットの関わりを整理しておこう。

 サミットが開催されてしばらく,当時のソ連はこれを「資本主義国のあがき」(タス通信)と呼んで相手にしようとしなかった。とはいえ,1980年代前半の「政治的サミット」が脅威でなかったはずはなく,事実,1980年にはサミットがソ連に対しアフガニスタン撤退を突きつけてくることを念頭に,ソ連はサミット初日に部分撤退を発表した。

 東欧の民主化が始まった1989年,ソ連はサミットへの参加希望を表明したが,実現しなかった。ソ連崩壊直前の1991年,ゴルバチョフ大統領とG7首脳がサミットの場で会談。これが実質的なソ連(ロシア)のサミット初参加となる。この会談でG7は,ソ連のIMFと世銀への「特別加盟」に合意。崩壊間近のソ連を経済的に支援する体制が整えられた。その後しばらくサミットの主要議題はソ連崩壊後のロシアへの経済支援となる。

 1994年,ロシアはサミットの「パートナー」となり,政治討議に招かれるようになった。ただし,ロシアの正式参加についてはフランスなど西欧諸国と日米とが対立。日本は領土問題があることから,ロシアの正式参加には一貫して否定的で,サミットの宣言に北方領土への言及を書き込むことを重視し続けた。

 1997年のサミットでロシアの正式メンバー扱いが決定。アメリカが同意したため,否定的立場にあるのは日本だけになった。サミットの正式メンバーになりたいロシアは日本を懐柔。エリツィン大統領は,サミット前の日ロ首脳会談で,日本に向けられていた核ミサイルの照準をはずすと約束し,サミットでは日独の国連安保理常任理事国入りを支持すると発言した。さらに,11月の日ロ首脳会談では,「2000年までに平和条約を締結できるよう全力を尽くす」とのいわゆるクラスノヤルスク合意が得られた。

 1998年からサミットの名称は「G8」に変更。訳語も主要国首脳会議に改められた。とはいえ,ロシアが経済討議を含め完全に全日程に参加するようになったのは2003年からである。なお,正式メンバーは首脳会議だけでなく,サミット・メカニズムの全会合(大臣会合や専門家会議)にも参加することになるが,ロシアはなぜかこれまで財務大臣・中央銀行総裁会議には参加していない(ゆえに「G7」と呼ばれてきた)。

 2006年,ロシアは初めてサミットの議長国を担当。サンクトペテルブルクでサミットを開催した。

 注目すべきはここから。

 2012年,再選されたばかりのプーチン大統領がサミットを欠席(代理としてメドヴェージェフ首相が出席)。サミットの歴史の中で欠席を通告した初めての首脳になった。なお,欠席理由は「組閣」であったが,アメリカで開催されたサミットだっただけに,マスコミの中にはミサイル防衛の配備計画をめぐる米ロの対立に原因を求めるものもあった。また,プーチン大統領が不参加表明の際にG20への出席を約束したので,ロシアは孤立しがちなG8よりもG20を重視するつもりだとの解釈も出た。

 2013年のサミットでは,シリア情勢をめぐる意見交換で,アサド政権を支持するロシアに批判が集中。カナダのハーパー首相は,サミットは「G8ではなくG7プラス1だ」と発言し,ロシアとG7とがもはや融和できない亀裂をかかえていることを印象づけた。

 2014年,1月からサミットの議長国はロシアになったが,ウクライナ問題を受けて,3月にG7各国は不参加を表明。EU本部のあるベルギーのブリュッセルでEUを議長国にして別個にサミットを開催するとした。

 ようするに,すでに2012年から,G7とロシアとは別の道を歩み始めていたのである。それを表面化させたトリガーがウクライナ問題であっただけで,早晩,ロシアはG8への不参加を表明(あるいはサボタージュを継続)したことだろう。G7各国が怒りにまかせてロシアを仲間はずれにした,というよりも,ロシアが徐々にG8から離れていった結果が,今回のG7の側からの不参加表明になったと考えるべきである。

不惑のサミット

 ロシアを排除したかたちとなった2014年のサミットは,奇しくも40回目の記念年にあたっている。『論語』で言えば「四十にして惑わず」の年になったということだ。

 わたしは今年のサミットを「不惑のサミット」と呼ぶことにしたい。もう迷うことなく,当面は価値観が共有できるG7だけでどんどん政策協調を進めていく。そういう覚悟があるように見えるからだ。

 おそらくロシアの復帰も中国の新規加盟も,「不惑」になったG7は容易に受け入れないだろう。ゆくゆくは,インド,ブラジル,メキシコなどを加えてG7+αに改変するのかもしれないが,これも急を要する話ではない。

 いずれにしても,2014年はサミットの歴史において転換点だ。メンバーの離脱という点で画期なだけでなく,ロシアとの関係悪化は,今後,Gメカニズムの役割にも変化を与えていくのだろう。 

 ちなみに,議題の拡大や機構の改革といった点では,ほかにも転機はあった。アメリカの経済覇権衰退を受けてサミットが発足した1975年,経済だけでなく政治問題も議論するようになった1980年(ピークは軍事問題も積極的にとりあげた1983年),G7財務相・中央銀行総裁会議を創設し,ウルグアイラウンド開始に合意した1986年,ソ連(ロシア)が実質的に参加し始めた1991年,50周年を迎えた国連メカニズムに改革を迫り,国際機関代表の定例参加が始まった1996年(転機を1995年とする考え方も可能だが),ロシアの完全参加が実現した1998年,G8+5や途上国代表との拡大会合の定例化が始まった2000年,G20が首脳会議を始めた2008年,拡大会合などがなくなりG8だけに戻った2012年・・・そしてロシアを排除した2014年。

 いろいろと変質もしたが,それでも柔軟に国際社会の変化に対応しようとしてきたのが,硬直化した国連と異なるGメカニズムの特長だ。今後の活動の軸足をどこに置くのか。したがって予測は不可能。

 「不惑」というより,「厄年サミット」になる可能性もなきにしもあらずなので,しばらくは目が離せない。

ブリュッセル・サミットのねらい 

 6月4-5日に予定されているG7サミット(主要国首脳会議)まで,あと半月となった。一昨日,ロシアの代わりに例外的に議長国をつとめることとなったEU (「首脳」はファンロンパイEU大統領とバソーゾEU委員長) からマスメディア向けに議題の提示があった。目下,この線でシェルパによる事前協議が進められているものと思われる。

 議題は,第一がウクライナ情勢とロシアとの関係について。第二が,その他の外交問題(おそらくシリア情勢など),ならびに国際経済,貿易,エネルギー安全保障,気候変動,開発援助,となっている。

 ロシア離脱が注目される中,例年通り多様な議題を取り上げることには,G7各国がこのシステムの機能維持を図ろうとしている意志を感じ取れる。けっこうなことである。

 とはいえ,今回のサミットは「緊急避難的」な性格を持つため,開催自体に意義がある。議論時間は前回並みだが,歴史的に見れば少ない(4日の20時から5日の15時まで)。第二の議題グループについて,大きな成果を期待するのは難しいだろう。

 今回のサミットについては,Gシステムの有効性の確認と,ウクライナ情勢への結束した対応がアピールできれば,成功とみなせるのではないか。

ブリュッセル・サミットの成果 

 2014年のG7サミットが閉幕した。ウクライナ問題の打開に向け,対ロ政策をどうするのかが議論の中心になった。報道によると,外交問題が議題の初日のワーキング・ディナーだけでは足りず,世界経済が予定議題の二日目午前の会合でもウクライナ問題は議論されたようだ。

 G7は,EU28か国と,アメリカ,カナダ,日本の会合と言い換えてもよい。EUに加盟するかもしれないウクライナが話題となれば,EUはもちろん,ロシアの拡張主義を懸念するアメリカも加わり,この問題への対応策に時間が割かれるのは当然であった。G8から出るかたちになったロシアにしても,自分がメンバーだったGのメカニズムの有効性は無視しえないのだろう(ゆえにG20については依然として積極的に関わる姿勢を示している)。G7が強硬策をとらないようにと,G7開会直前にウクライナ国境沿いの部隊の一部を撤退させてみせた。

 こうしたこともあって,G7宣言はさらなる制裁をちらつかせつつも,今後のロシアの対応を見据えるとして,話し合いによる解決の余地を残した。エネルギーをロシアに依存する欧州諸国の意向が,強硬策を唱えるアメリカに一定の留保を認めさせたとの解釈もあるが,もともと仲間だったロシアだけに,そろそろ時期的にも交渉による落としどころの模索は可能と見たのではないか。いずれにしても,昨年4回も日ロ首脳会談を開催するほどロシアとは良好な関係にあった日本政府は,この結論で満足だったにちがいない。

 安倍政権にとっては,この対ロ政策も含め,今回のG7は大成功だった。なによりも,中国を念頭に,G7宣言に南シナ海と東シナ海の秩序をみだす行為への批判を盛り込めたのは画期的と言ってよい。国際法秩序を危機にさらしている点で,ロシアのクリミア半島併合と中国の海洋進出を実質的に同列に扱うかたちとなったのである。これで,今後,この地域における中国の行動は,G7によって必要な対応がとられる観察対象となった。懸念が深まれば,来年のドイツでのサミット,そして再来年の日本でのサミットで,さらに踏み込んだメッセージが次々と出されることになる。いわば国際社会が対中批判を強めていくための足がかりが得られたのである。

 ちなみに,恒例の写真撮影の並び順だが,主催国扱いとなったEUのファンロンパイ大統領とバローゾEU委員長の内側に,政権担当の長さからEUを代表して実質的な議長を務めたメルケル独首相(2日目)とキャメロン英首相(1日目)が並び,その外側に国家元首であるオバマ米大統領とオランド仏大統領が,そしてさらに外側に政権担当期間の長い順に首相クラスが並ぶというかたちになった。政権担当期間がまだ2番目に短い安倍首相はゆえに右端に立たざるをえなかった。端に立ちながらも,安倍首相には満足できるサミットであったにちがいない。